恐れがある分、エビデンスにこだわった

――そういう制約の多いテレビから映画というまだ自由が担保された世界に向かったわけですが、テレビ局の中にはただマネタイズを狙った安直な映画化も少なくない。何も取材していないただの自虐なのに「テレビなのによくここまで踏み込みましたね」とか、視聴者が自らハードルを下げるケースを見ます。今回安倍元首相にアプローチするうえで、どういったところをポイントに置かれましたか?

【内山】安倍さんというテーマは、リアルもネット上も巨大な応援団がいますので、不用意な言葉とか下手なデータとか出すと一斉に叩かれるし、また権力的なものが本当に動き出す可能性もあります。

菅前首相の映画「パンケーキを毒見する」に続き、本丸安倍元首相の映画を撮った内山雄人監督。(撮影=増田岳二)

一方で、味方になってくれそうな人も、観点が異なるとあっという間にそっぽを向くかもしれないという怖さがありました。映画内で描く1つ1つの問題、事象について、誰だったらこの問題を扱えるか、言及してもらえるか、あとデータに対する裏取りも慎重に徹底的にやりました。

外交については、北朝鮮の問題とかもっとやるべきだったんじゃないかなどと、いろんな声を聞くのですが、手を広げられる限界があるし、証拠として何の実証性のないものや、インタビューでただ一方的に喋る話だけだと、何のリアリティもないと思って、そういうものは落としました。

基本は背景と事実を全部重ねていかない限り、これは本当に足元すくわれる映画になると思ったんです。恐れがある分、慎重にエビデンスにこだわったというのはあります。

――一方で取材として直に当たるものはあまりなく、萩生田大臣あたりに行くのかとも思ったのですが、あえてそれをしなかったのも、戦略的なものだったんですか。全編を通して新規取材が弱いという印象はぬぐえなかったですね。

【内山】この映画を作っていることが、自民党筋に先に漏れると、どんな力がかかって来るのかわからない部分があったので、政治家に当たるのには、ものすごく注意していたんです。しかも取材アポが取れたとして、それに見合うだけのものが撮れるとは思えない気がして。

『パンケーキを毒見する』のときも菅(前首相)さんに当たらないんですかと聞かれたんですが、僕が会って、いい人でした、という印象になってもあまり意味がないので。「田中角栄研究」を出した立花隆の取材をしたときに分かったのですが、立花さんも田中角栄に1回も会ってないんですよね。データや証拠で田中角栄を退陣に追い込んだ……その憧れもあります。