「えっ!? 他人ごとかよ、お前ら」
――古賀さんと官僚たちの座談会で、官僚の人たちへのモザイク。これはやはり外すのは厳しかったですか。
【内山】そうしないと彼らの生活を守れないので。聞くところによると、モザイクでも簡単にバレてしまうそうなんです。菅前首相のときに官僚で答えてくれた方がいたのですが、警察官僚の動きによってすぐ調べがついて、本人にたどり着いちゃったらしいんです。手のしわだけでもわかるというのをあとから聞いて、「やばい、手、写っちゃったな」って思ったぐらいです。
今の岸田首相の政権でそこまでガツガツやる警察官僚がいるかわからないけど、取材に答えてくれた彼らとも僕ら完全に遮断して連絡取れないようにしているから、どうなったかわからないですが。ただ僕は官僚の本音が今まで出てこなかったのが不思議だと思っているんです。大手マスコミの記者たちは日常的に接しているはずなのに、そういう関係性になれてないのか、それが僕は不思議でしょうがなかったですね。
――換言すると、報道を含めたテレビ業界自体が、どんどん萎縮してきている。テレビ業界にゲソつけて30年以上。やっぱりそういったものが、映画でしかできなくなってきているという空気っていうのは感じますか。
【内山】先ほどいみじくもおっしゃった通り、この映画は取材の深堀りは足りていないことは、よくわかっています。とはいえこれは、テレビでできないことだけをやるんだというこだわりはずっと持っていました。
さらに言うと、テレビがやれる時代であれば、できたものです。「テレビで本当はできます」というような内容のアピールのつもりでもいたんですよ。空気の変わり方はもう、ひしひしと感じます。そしてそれに対して危機感がない。
前作の『パンケーキ』のときもそうでしたけれど、「いやー、よくやってくれたよねー」とか、テレビの人は、そう言うんですよ。要するに、この企画の話すら、およそ誰も立ち上げる空気すらもない。大学時代に自分はそこまで硬派ではなかったけれど、当時、立派なことを言っていた連中は何をしているのか。
「いやあ、テレビが本当にできなくなっちゃったよね」って言われて「えっ!? 他人ごとかよ、お前ら?」という気持ちが強いです。そこへのテーマが、賛否がありますけど、ラストのシーンなんです。何とかして自分ごとに思ってほしいというのがあったんです。だから……」
――実は賛否で言うと、私はあのラストは否の方でした。またマスメディアへのネガティブな影響を与えてしまわないかという懸念を持ちました。