テレビでは許されないラスト
【内山】それなりのエンディングは用意していたんです。チェックでも社内でもみんなに見せて、見終わって「まあ、いいんじゃないか」という感じになったんだけど、どうもなんか、みんなへの刺さり方が弱い感じがしていて。
それは作っている最中からもうずっと終わり方をどうしたらいいか、のたうち回るくらい苦しんでいたんですよ。編集のリミットも来ていて、何にもやりようがないなって悩んだときに、向こう側の話じゃなく、自分側の話として聞いてもらえないだろうかと思ったんです。――いいかどうかはまたちょっと別だけど――。
結果、あれはあまりに私的な表現で映画しかできない、テレビでは許されないラストです。それもまた「映画の自由の豊かさ」として僕は感じました。賛否の賛の方の感想で言えば、ラストで涙を流したという方の感想も聞きますし。
――そのラストは観てのお楽しみということで。内山監督としては、テレビでできないことをやって、これは頑張ればテレビでもできるだろうと喝をかけたいという思いと、一方で映画に対するこだわりは、これからも持っていくわけですね。
【内山】映画は自由な表現の仕方に関してまだまだ大きな可能性を感じるのと、志のある映画館や配給会社、見守ってくれる大人たちもいる。テレビだと右から左に流れてしまいがちですが、映画ではお金を払うとか、時間が限られているとかそれでも観に行く能動性を考えると、観客に溜まるものも深いですよね。
あと制作や上映についての仲間もきっと出てくる感じがするんですよ。志とやる気があれば、何かやろうぜっていう仲間が出てくる業界だなと思います。本当は、テレビにもそういう人たちがいてほしいということの願いも言葉の裏にあるんですけど。