日本映画の歴史の中で特筆すべき年

日本映画の歴史は長い。1895年、フランスでリュミエール兄弟が世界初の映画撮影をした、2年遅れの1897年に日本でも映画撮影が行われている。中国(1905年)や当時の朝鮮(1919年)、台湾(1925年)などアジア諸国のなかでは最も早く映画を取り入れたのが日本だった。

そこから映画は戦前・戦後にぐんぐんと伸び、1958年の映画産業ピーク時、観客動員は年間11.2億人だった。最近(2019年)の1.9億人という記録とは比べ物にならない時代もあった。

テレビが浸透する1970~80年代は映画業界にとっては受難の時代である。1971年大映の倒産のタイミングに東宝も制作をやめて配給に特化していき、三船プロ・石原プロ・勝プロなど制作陣・俳優陣は独立してテレビ業界になだれこまなければ生存できない時代もあった。

そこからジブリの登場が天啓となり、アニメが映画産業をひっぱる時代に入る。

1998年『ポケットモンスター ミュウツーの逆襲』が米国で8500万ドル(約110億円)という米国市場ではいまだ破られていない日本映画記録を打ち立て、2003年『千と千尋の神隠し』が米国アカデミー賞に輝く。ここが現在まで続く「クールジャパン戦略」が検討されはじめるタイミングでもある。

こうした125年の歴史をひっくるめて、間違いなく今この2023年が、日本アニメがマックスで世界に届いている瞬間である。それを牽引するのが新海誠作品であり、続く『THE FIRST SLAM DUNK』も中国では4日で4億元(約80億円)超え、『すずめの戸締まり』の最高記録更新も見えてきている。

日本アニメに一体全体何が起きているのだろうか?

宮崎駿の引退宣言で起きたこと

まずは日本映画の環境変化から話を始めよう。多くの人にとっては『君の名は。』から新海作品を知り、『天気の子』でその評価を着実なものにした、というルートがスタンダードなのではないだろうか。

2013年宮崎駿監督の『風立ちぬ』を最後に、スタジオジブリの“国民的アニメ映画”を喪失したわれわれは、誰もが観に行っていて誰とも感想が共有できるこのポジションに代わる作品を模索した。

2014年からの数年間は完全に「ポストジブリ」の群雄割拠の時代にはいった。

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