ジブリロス→日本アニメブームに

「ドラえもん」、「クレヨンしんちゃん」、「名探偵コナン」の毎年のGWアニメシリーズも、『バケモノの子』など細田守監督作品も、数年おきの展開をする「ドラゴンボール」「ワンピース」作品も、ほとんどのアニメ作品がこのポストジブリ時代に大きく成果を上げていた。

そうした中で圧倒的ナンバーワンのポジションを築いたのが新海作品だった。

新海作品を並べてみると、これほど如実に「桁」が変わったシリーズは他にない。

【図表1】新海誠作品の収入

監督5作目の『星を追う子ども』(2011)以前の作品はほぼ自主制作から始めた、典型的なインディー作品である。東宝が配給に入った『言の葉の庭』(2013)の興収は1.5億円。それが『君の名は。』(2016)で約170倍の250億円になる。なぜ2010年代半ばにこれほどの“確変”を見せたのだろうか。

宮崎作品との共通点

新海誠監督は1973年に長野県南佐久郡小海町で生まれた。郡として2万人、町としても4000人という、いわゆる過疎化した地方の出身者である。

子供のころからSF・宇宙モノの本を愛読しており、母親の影響で絵も描いていたという。小学校でスピードスケート部、中学校でバレーボール部、高校で弓道部といった経験や、高校は毎日片道40分かけてJR小海線で通学していた話など、“出自”が彼の作品のそこかしこに感じられる。

いや、感じすぎるといった表現のほうが正しいくらいに、新海は自分の学生時代の風景を重ねて重ねて、各作品で引用し続けている。

恋人の存在とそこに世界的な命運まで背負わされる切なさ、学校と電車、上京する地方出身者が見る東京、純粋な天気や風景の美しさ、古事記や神話・民族伝承の引用。

「高校時代に黒板に映る夕日の陰影があまりに美しかった」という新海監督が長野時代に自分が得たインスピレーションを30年以上も描き続けている。“執念”のようなものが、彼の作品の根幹を支えているように思える。

それは「戦い続ける穢れない少女」にこだわり続けた宮崎駿作品にも共通している。