逆境に「救われた」

農業との兼業で冬場にしか来ない杜氏の雇用をやめ、社員だけの酒造りになった旭酒造は、「寒造り」という伝統的酒造方式を止めました。

酒蔵を空調することにより、通年醸造方式を採用します。しかも、大手の酒蔵でよくやられていた大型化や機械化ではなく、小さな作業単位で細かなコントロールを可能にする方式を編み出しました。

米についても、同様に逆境のおかげで救ってもらえたといえます。

地元である山口県には、良い酒造好適米がなかったのです。私たちは地元で良い酒造好適米を作ってもらいたいと望んでいました。しかし山口県の農協は、新たな米を作ることに消極的でした。というより、「良い米が欲しい」という私たちに愚弄ぐろう的でさえありました。

あるとき、とうとう我慢できなくなって私は農協との縁切りを決断。農協の助けを求めず、自社で取引する農家を開拓していったのです。やるなら最高の米と狙いを定め、最も高価な山田錦に的を絞りました。

写真提供=旭酒造
地元に良い酒造好適米がなく、そこで妥協せず全国の産地を巡ることで「道」が開けた

「ない」ことは、新たに「得る」機会

その後、旭酒造の成功を見て、山口県農林水産部が酒米に目を向け始め、農協と手を組んで自分たちで新しい酒米品種を作ろうとします。

しかし、その新品種はあまり優れているとはいえませんでした。そのため私たちが山田錦の代わりにそちらを使おうとしなかったところ、様々な嫌がらせを受けました。

経済合理性から申しますと、地方自治体の言うことを聞かないということは得策ではないかもしれません。しかし私は、お客様の顔を思い浮かべたとき、獺祭に適していない米で獺祭を造ることはできなかったのです。

現在、私たちは年間9000tの山田錦を使用しています。この数量は、日本全体の山田錦の生産数量(2万6000t)の34%を占めます。この大きな数量の購入ルートは、自分自身で開拓していったからこそできあがったのです。

「地元山口県に良い米がなかった。だからこそ良い米を全国から手に入れるルートができた」といえます。