順風満帆とは言えなかった昭和天皇の訪英
その後も、日英の皇室外交はなかなか戦前のようには回復しなかった。女王の従姉妹であるアレキサンドラ王女の来日、三笠宮寛仁親王の留学、大阪万博時のチャールズ皇太子の来日などあったが遅遅としたものだった(チャールズ皇太子は、来日時にイカの刺身を食べさせられたことをサウジアラビアの羊の目玉と並ぶ悪い思い出として語って話題になった)。
この大阪万博のとき、来日したベルギーの皇太弟(のちのアルベール二世)に関係者が、昭和天皇が訪欧を希望されているが、なかなか実現が難しいという話をしたところ、皇太弟はベルギー国王から招待状を出すことと、各国の根回しを引き受けてくれた。
これが功を奏して1971年に昭和天皇の訪欧は実現したが、イギリスを公式訪問する前提として、遠くない時期にエリザベス女王の訪日があるべきことを確認するということになった。
昭和天皇にとっては皇太子のとき以来、50年ぶりの訪欧で、天皇による外国訪問は歴史上はじめてのことだった。このとき、ベルギーなどでは温かく歓迎されたが、オランダとイギリスでは反対運動に見舞われた。
エリザベス女王のスピーチは「両国民間の関係が常に平和であり友好的であったとは申すことができません」とやや辛口だったし、フィリップ殿下の叔父であるマウントバッテン卿は、式典をボイコットした。
エリザベス女王が日本重視だったとは言いがたい
1975年には、エリザベス女王ご夫妻が訪日され、6日間で東京のほか京都と伊勢志摩を訪れられた。この訪日は英国側から見れば大成功で、東京帝国ホテルから国立劇場までのオープンカーでのパレードには11万人もの人が押し寄せた。
そののち、日本側からは、皇太子時代の天皇陛下や秋篠宮皇嗣殿下がオックスフォード大学に留学されたり、平成の両陛下が即位後だけでも、1998年、2007年、2012年と3回訪英されたりしたが、エリザベス女王の再来日はなかった。
女王は即位後、英連邦諸国にはカナダの23回、オーストラリアの16回など頻繁に訪問され、ドイツ7回、米国、フランス6回、イタリア5回などヨーロッパの主要国や米国は数回ずつ訪問されているが、アジアではUAE、オマーン、トルコ、ネパール、タイに2回訪問されたほかは、中国、日本、韓国は1回のみだった。滞在日数はそれぞれ7日、6日、4日と、重要性に応じてなのかさじ加減されていたわけで、日本を重視していたとは言いがたい。