ジョージ6世の戴冠式も「天皇の弟」が出席
これまで、日本の皇室がイギリス王室の戴冠式にどう対応してきたかというと、1902年のエドワード7世の時は小松宮彰仁親王が、1911年のジョージ5世の時には、東伏見宮依仁親王が出席している。いずれもフランス留学組で、王侯貴族の集まりにふさわしい人選だった。
エリザベス女王の父親であるジョージ6世の戴冠式が1937年に挙行されたときは、昭和天皇の弟である秩父宮殿下ご夫妻が出席された。妃殿下はロンドン生まれ・米国育ちの帰国子女だからうってつけだった。
そのときの、駐英大使は吉田茂で、彼が頑張ったお陰かどうかは知らないが、戴冠式ではすべての王侯の中で第一位の席を与えられていたのである。
このあと、フランス、オランダ、スウェーデン、ドイツを回られたのだが、そのときの駐英大使だった吉田茂の反対にもかかわらず、ドイツに多くの日数をとり、英国以上の大歓迎を受けて、秩父宮殿下はナチスの党大会にも来賓として出席された。
上皇陛下の初外遊は6カ月にわたる大旅行に
終戦後、1953年に行われたエリザベス女王の戴冠式には、当時19歳だった皇太子殿下(現上皇陛下)が出席された。戦時中は敵対関係にあった、英国をはじめとする欧州王室との関係を修復したいということだけでなく、皇太子の国際化教育の一環でもあった。
人生初となる外遊は3月30日に横浜を出港され、10月12日に米国から空路でお戻りになるという大旅行で、このために、皇太子殿下は単位不足のため学習院で進級ができなくなった。留年もされず、同級生たちと一緒に大学を離れられたので、卒業はされていない。
ヨーロッパでは、王族は子供の時から公務をこなす。エリザベス女王も12歳ではじめてスピーチをされ、13歳で社交界デビューを果たされた。
ところが、日本ではそういうことをしないから、昭和天皇の場合もそうだが、まず、海外を訪問することで公務を始められる。皇太子殿下も、わざわざ船旅で、アメリカ、カナダを経由して時間を稼ぎながら練習された。
当時、まだ反日気分は高かったが、英国ではチャーチル首相が午餐会を開いて、そこに、うるさ型のマスコミ幹部を招待し、マスコミ論調を上手に和らげてくれた。また、エリザベス女王は、競馬場に来ていた殿下に使者を出して、第二レースをロイヤルボックスで一緒に見ようと誘い、王室としては歓迎していることを絵になる形で世界に報道されるよう見せ場をつくってくれた。ただ、大歓迎というわけにはいかなかった。