ワークの価値観で感謝しても、妻には違和感が残る
奥さんもワインがだいぶ入っていたので、つい本音が出たのだと思います。理由を深く語ったわけではありませんでしたが、顔にはいかにも積年の思いがにじみ出ていました。
「あなたが企業戦士として働いている間、私がどんな思いを味わっていたか……」
そんな言葉が喉元まで出かかっているようでした。
一方、ご主人のほうは、まさかという驚きが赤ら顔に広がっていました。「何もこんなところで」と恥じ入るような思いと、「本気でそう思っているのか」という驚き。ご本人はすっかり黙り込んでしまい、私たちもどうフォローしていいものかわからず、場の空気は冷たく固まってしまいました。
ご主人からすれば、わかってくれているはずの奥さんに、申し訳なさと感謝の思いも込めて「戦友」という言葉で、同胞意識を伝えたかったのです。
しかし、奥さんからすれば、「それはあなたの論理」ということになります。数十年の結婚生活で、どれだけ家庭を顧みたのかという思いが拭えない。夫の社会的地位によって得た経済基盤はそれなりのものがあったにしても、代わりに失ったものが大きすぎる。そんな思いがうっ屈していたのではないでしょうか。
そもそも、「戦友」という言葉は、ライフ(私生活)にはなじまない。あくまで、ワーク(仕事)のフィールドで使われる言葉です。奥さんからすれば、「ワーク」という夫の土俵、夫の論理に無理に引き込まれる違和感もあったはずです。
こんな「論理の行き違い」は私たちの年代だけの話かというと、けっしてそんなことはないのです。私は、30~40代のビジネスマンやベンチャー企業の若手経営者などと会う機会も多いのですが、彼らのなかには、家庭を顧みず仕事に没入するタイプの人たちが少なからずいます。
競争原理のなかで生き残りをかけるビジネスの現場は、たしかに「戦場」とも言うべき厳しさがあります。その厳しさに立ち向かうとき、仕事に没入する人たちは、「家族との時間を削る」ほうにすぐ走ってしまうのです。
なぜ、「仕事時間」のなかでできるだけ完結させようとしないのか。私に言わせれば、考える優先順位が逆です。
その根本的な発想を切り替えない限り、夫の論理と妻の論理が水面下でかみ合わないまま、長い結婚生活を続けていくことになるのです。
※新刊『ほんとうは仕事よりも大切なこと~いつか結婚するあなたへ贈る37の処方箋』より