仕事優先という価値観は、本当に妻に理解されているだろうか?
仕事の場にこそ自分のアイデンティティがあると思う旧世代の人たちは、結婚してもなかなかその価値観から抜け出すことができません。そして、もうひとつの大きな勘違いをしてしまうことがよくあります。
「妻もそんな自分をわかってくれているはず」という思い込みです。仕事優先の生活に巻き込んでいることで、どこかで後ろめたさはあっても、その後ろめたさも含めて妻は理解してくれているはずだと思い込んでしまうのです。
いまも忘れることができない象徴的な出来事がありました。
ある大手企業の社長を務めた方と、夫婦同士で会食したときのことです。その方が、まだ会長職にあった時期だと思います。
食事がだいぶ進み、ワインの杯を重ね、場の歓談ムードもだいぶ盛り上がっていたとき。何かの話の流れで、その経営トップの方が奥さんに、
「きみは、ぼくの戦友だからな」
と感慨深げに言ったのです。戦友という言葉は、私たちの世代は「共に闘ってきた」という意味でよく使うことがありました。
その方は、日本の高度成長期を支えてきた世代。若いころは、朝早くに家を出て、帰宅は毎晩日付が変わるころ。休日はたいてい接待ゴルフ。そんな典型的な企業戦士としてがむしゃらに働き、そして最高責任者にまで上りつめ、会社の一時代を築き上げたわけです。
そんな人が口にした奥さんへの言葉には、「家庭も顧みず申し訳ないことをした」「そんな私をよく支えてくれた」という万感の思いがこもっていたに違いありません。
ところが、奥さんから返ってきたのは意外な言葉でした。
「あなたに戦友と呼ばれる覚えはありません」
私たちがいる前で、そうきっぱり言い切ったのです。