職場での評価を、「自分そのもの」と勘違いしてはいけない
対して、「リアルな場」となるものは何か?
言うまでもなく、私生活そのものです。たとえば、夫婦関係です。もし夫として、妻として果たすべき役割があったとしても、それはけっして演じるものではありません。演じて成り立っている夫婦関係があるとしたら、それは「仮面夫婦」と言われるものです。
本来の夫婦関係は、良いところも悪いところも、「素」の部分をすべてさらけだして向き合うことで成り立っているはずです。
この私生活でもつべきパーソナリティ(個)こそが、素の人柄、本来の人格と言うべきものです。学業期間であれ、仕事に向き合う期間であれ、そしてリタイア後の期間であっても、全人生を貫き通す人間性の御柱のようなものです。
だからこそ、私生活が大切なのです。その私生活で成り立つ夫婦関係や親子関係、家族関係が大切になるのです。この関係には、仕事のように、社会的に決められた期限がありません。当事者が自然死するまで続く絆によって結ばれています。
自然死によってこの世の絆が途切れたとしても、「記憶の絆」は永遠に残ります。これは、仕事を前提とした人間関係が、定年と共にプツンと切れてしまうのと、あまりにも対照的です。仮想空間で結ばれた関係は、ゲームオーバーと共にリセットされてしまうのです。
人は、自分のパーソナリティ(個)が認められたり評価されれば、うれしいものです。生きている証を感じることができるからです。旧世代の人たちは、会社で演じているパーソナリティ(個)が評価されているにすぎないのに、それが自分の全人格への評価だと勘違いしてしまう。そこに大きな落とし穴があるのです。
新しい「目覚めた人」たちには、その混同をぜひ拭い去ってほしい。仕事というゲームは、勝てばおもしろくなるし、つい熱くなってしまいます。しかし、そこに自分の全人生があるかのような幻想は取り払わなくてはいけません。