パニック障害を発症し、病院に搬送される

定年後の仕事をめぐる惨事を経験した松本裕太郎まつもとゆうたろうさん(仮名)は、あの日、なぜそこに立ち寄ったのか、その前後の記憶がいまだ不鮮明で思い出せない。2019年、当時63歳の松本さんは、1年半前まで勤めていた会社が入居するオフィスビル内のコーヒーショップで、突然激しい動悸どうきやめまいに襲われた。次第に症状は強まり、手足の震えのほか、全身が急速に熱くなってくる。店員に助けを求めようと立ち上がろうとして、その場に倒れ込んだ――。

覚えているのは、店内でコーヒーを飲み始めてから不調を自覚し、ズシンという低く重い音と、大きな衝撃を耳と体に感じて倒れたところまで。意識が戻った時は、すでに病院のベッドの上だった。松本さんはパニック障害を発症し、救急車で病院に搬送されたのだ。

「それまで経験したことのないような症状で、体を全くコントロールできず、手足も動かず、声も出ない。自分の体が自分のものでないように感じて、暗い闇の中に閉じ込められたような、とても恐ろしい発作でした。で、でもね……不思議なんです。店内で倒れ込んだ時のほとんどの記憶をなくしているにもかかわらず、『このまま死んでしまったら、楽だろうな』と咄嗟とっさに考えたことだけははっきりと覚えているんです。とんでもない落とし穴にはまって、人生で最もつらい経験をした直後で、追い詰められていましたから……。あー、ふぅー」

パニック障害の発作で倒れてから、数カ月が過ぎた頃のインタビュー。彼自身、ある程度心の整理がついて取材に応じてくれたようだったが、話している途中で「人生で最もつらい経験」が脳裏によみがえったのか、そこまで言い終えると、まるで力尽きたかのような表情で深いため息をついた。

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「生涯現役」という焦りからの失敗

松本さんがはまった「落とし穴」とは、投資詐欺のことだ。定年退職後の継続雇用で働いていた職を自ら辞し、起業するために資金を集め、準備していた最中に被害に遭ってしまったのだ。

「定年後の仕事については道を誤ってそれまで築いたものを失わないよう、50歳前後から、同じ会社での継続雇用、転職、そして起業を視野に、ビジネス書や体験談をまとめた新書などあらゆる本を読みあさって情報収集し、勉強してきたつもりでしたが……まさか、この私が、投資詐欺の被害に遭うなどとは……本当に、夢にも思っていませんでした」
「なぜ、しっかりと準備してきたにもかかわらず、詐欺の被害に遭ってしまったと思われますか?」
「…………」

早い段階で核心に迫る質問をしてしまったためか、松本さんは口を閉ざしてしまう。ただ、この問いに対する自分なりの答えはすでに見出していたようで、2、3分の沈黙の後、それまでよりも話すスピードを落とし、弱々しい声でこう話してくれた。

「ずっと現役で頑張り続けなければならない、という焦りがあったのだと思います。そうでなければ、何事にも慎重な性格の自分が犯罪被害に遭うはずがありませんから。あの頃は……なんて言えばいいんでしょうかね……あっ、そう、自分で自分の心、思考を制御できずに、暴走してしまったとでもいいますか……」

パニック障害は投薬治療で快方に向かい、すでに抗うつ薬は飲まなくなっているが、時折、不安に見舞われることがあり、頓服とんぷくとして抗不安薬は手放せないという。