真面目に働いてきたが役職延長もなく…

松本さんは当初から、起業ひとつに絞って、計画を練っていたわけではない。彼を経営コンサルタントとしての起業に駆り立てたのは、定年後に再雇用で働いていた時の苦い経験だった。その経緯について、松本さんとの出会いまでさかのぼって、振り返ってみたい。

彼とは10年に、定年後の人生設計をテーマにした講演会で知り合った。当時、54歳でメーカーの経営企画部長を務めていたが、半年後に役職定年を控え、身の処し方に迷っていた。無論、先に紹介した彼の語りにもあった通り、綿密に情報収集して考えたうえでの悩みである。

「管理職が視野に入ってきた30歳頃からずっと目指していた役員になる道も、役職延長さえ、私には残されていないんです。私が怠けていて、実績を上げていないならまだしも、真面目にしっかりと会社の成長につながる任務を果たしてきました。それなのに……評価してくれなかったのは非常に残念だし、腹が立って仕方ありません。長年仕えてきた会社に裏切られたような気持ちになってしまって……」

だが、ここで働くということから逃げることができないのは、本人が一番わかっているようだった。

「一度は絶望しましたが、これからますます費用がかさむ高校生と大学生の娘たち2人の教育費のことも考えると、仕事を辞めるわけにはいかないんです。妻子が安心して暮らせるように、必死に仕事を頑張ってきた自分を否定し、夫として、父親としての重要な役目を放棄してしまうようなものですから。定年まで、さらに定年後も、働き続けることを前提に、少しでもそれまで培ってきた経験やノウハウを生かせるような前向きな働き方ができればいいのですが……」

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写真=iStock.com/THEPALMER
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年収は定年直前の5分の1にまで減少

60歳で定年退職後、松本さんは会社の再雇用制度を利用し、週3日勤務の嘱託社員として働き始めた。当時すでに65歳までの高年齢者雇用確保措置(※2)が事業主に義務付けられていたが、勤務する会社の制度に定年の引き上げや定年廃止はなく、継続雇用制度だけで、さらに継続雇用の中でも再雇用に限られていた。

勤務日数も就業規則で一律週3日と定められていて、年収は定年直前の5分の1の約150万円に下がったという。再雇用制度の利用を決めた定年直前のインタビューでは、「待遇が悪くなるのはやむを得ないが、せめて職務経験を生かし、役に立つ仕事をしたい」と話していた。

(※2)義務付けられている高年齢者雇用確保措置の対象年齢が2013年から65歳までに引き上げられ、継続雇用制度の対象者も同年から希望者全員に拡大された。ただし、13年3月31日までに継続雇用制度の対象者を限定する基準を労使協定で設けていた場合、25年3月31日までの経過措置が認められている。