自分の心の中の炎症が治らない
恨みとは、継続する怒りのことです。
誰かを恨み続けるということは、自分の心の中で炎症が起きているのと同じです。歯茎が腫れて炎症がなかなか治らなければ、心身が疲弊していく経験をしたことがある人もいると思います。
同じく、心に恨みという、怒りを抱き続ければ、心身が疲弊してしまうのです。
そんな状態では、人生がうまくいくはずがない。
だからと言って、「自己肯定感を高く持とう」と努力しても、なかなかそうはいかない。そして今度は、自己肯定感を高く持てない自分にまた、落ち込んでしまうのです。
「自己肯定感は低くてもいい」と断言できるワケ
ではどうすればいいか。
自己肯定感など、低くても構わないと知ることです。
アドラー心理学を紹介し、200万部超えのベストセラーとなった『嫌われる勇気』には、「自己受容こそが大切であって、自己肯定感は重要ではない」と書かれています。
素晴らしい言い換えだと思います。けれども、これもやはり対症療法であって、新しい言葉の言い換えに過ぎません。
自尊心、自己肯定感、自己受容感、自己評価……。
さまざまな言葉が登場し、その言葉の曖昧な解釈によってまた悩む。そう、人間は言葉で悩むのです。
だから、「自己○○」などという、新しい言葉が次々登場してきても、その高低、強弱をあまり気にしないことです。
自己肯定感は低くてもいい。
私がそう言い切る理由が2つあります。
理由①調査結果とマスコミの呪縛
内閣府ホームページには、特集「今を生きる若者の意識〜国際比較からみえてくるもの〜」と題して、日本を含めた7カ国の満13〜29歳の若者を対象とした意識調査(平成25年度)の結果が示されています。
それによると、例えば「自分自身に満足しているかどうか」という問いに対して、「イエス」と答えた若者が、韓国(71.5%)、アメリカ(86.0%)、イギリス(83.1%)、ドイツ(80.9%)、フランス(82.7%)、スウェーデン(74.4%)であるのと比較して、日本では(45.8%)と、自己を肯定的に捉えている者の割合が圧倒的に低い調査結果となっています。