努力のうち「1%」が実を結ぶ
努力の99%は無駄になる。
といっても、完全に無駄になってしまうことなんて1つもないよ。すべてが学習の機会になるのだから。どんなことからも学習できる。
でも、たとえば君の学生生活を振り返ってみると、君の書いた学期末レポートや、君のやった演習、君の学んだ物事の99%が、あまり役に立っていないだろう。君は地理や歴史を専攻したが、まったく活かしていないかもしれない。
外国語を学んだが、もう話すことがないのかもしれない。数学の一分野を学んだが、忘れてしまったのかもしれない。
そうは言っても、これらは学習経験だ。君が何かを学んだのは間違いない。勤勉の大切さを学んだ。学んだことが深層心理に根づいて、君が今やっていることの一部になっているのかもしれない。
でも目的志向の人生という点から見ると、君の努力のうち実を結ぶのは1%ほどだということだ。
もう一例が、君が夫や妻と出会う前につきあった人たち全員だ。これは、目的という意味では無駄になった時間だ。
指数関数的な変化があり得るという意味では無駄になっていないし、学習という意味でも無駄になっていないが、目的という意味では間違いなく無駄になった。
私がこんなことを言うのは、人生の99%が無駄で有益なのは1%だけだなんて、軽々しく言うためじゃない。私がこう言うのは、君にとにかく慎重になってほしいからだ。
そして(人間関係、仕事、学習など)何に取り組むのであれ、その究極の目的は、複利を得るために全力を傾ける対象を見つけることだとわかってほしいからだ。
君が誰かとつきあっていて、結婚に至るような関係じゃないとわかったら、その瞬間に別れて前へ進むべきなんだろう。
君が何かを学んでいるとき、たとえば地理や歴史の授業を受けていて、その情報をこの先使わないとわかったら、授業に出るのはやめたほうがいい。時間の無駄だ。脳力の無駄だ。
無駄になる99%をやるな、とは言わない。だって残りの1%を見極めるのはとてつもなく難しいんだから。
私が言いたいのはこういうことだ。君のやっていることの中で無駄にならない1%が見つかったら――君が残りの人生を傾けられる対象、君にとって意味のある対象が見つかったら――ほかのことは忘れて、それに全身全霊を傾けよう[※1]。