風が止まることで、くっきりと姿を現すものがある
愛媛に行くと、必ず家族で滞在する民宿があった。海の前にある、小さな町の民宿である。そこで父や祖父母はよく「凪」という言葉を口にしていた。凪とは、瀬戸内海などの内海でたびたび発生する自然現象のことであり、凪がくるとあたりは無風状態となる。
筆者は凪という言葉の意味を、大人になってから知った。しかし、凪がきたときの、あの穏やかで静まりかえった町の情景を、筆者は今でも忘れることができない。セミの鳴き声や子どもたちの笑い声、高校野球の声援。静寂のなかで、初めからずっとそこにあったものたちが正確に、より細部までくっきり姿を現す。そして、「そうでなければならなくなる」ものに、そこになければならないものに変わっていく。
幼い頃、海辺の町で筆者は、そんな感覚を覚えていた。
クリエイティブは「凪」の中から生まれる
凪には、朝凪と夕凪がある。発生する時間帯が異なっているだけではなく、陸風から海風、海風から陸風と、それぞれその前後で切り替わる風が違うという特徴がある。つまり、凪とはただの無風状態ではなく、風が切り替わる瞬間に訪れる束の間の静寂でもあるのだ。
目まぐるしく変化する日常を強いられている今だからこそ、しばし凪のなかで考える必要性を、筆者は強く感じている。凪の中に身を置き、目の前にあるものをしっかりと見る。より感じ、より考え、それを自分の言葉にして伝える。そして、風の切り替わる瞬間をとらえていく。身の回りから時代の兆しを感じとっていく。
凪を生きる。それは、ボタンの掛け違いをどこかでしていないか、点検する時間を確保しながら進んでいくような生き方である。無風状態の凪は退屈な現象などではない。創造的な無風を感じる営みなのだ。それまでも変わらずに「そうであること」だったものの中にこそ、クリエイティブの原資が秘められているのであり、筆者が毎日、書き続けたエッセイも、それによって支えられている。