1945年8月15日。敗戦は日本社会を根底から変えた。解剖学者の養老孟司さんは「小学2年生だった私は、あの日を境に世の中ががらりと変わったのを見た。だから私は人間の言葉を信用せず、猫を信用するようになった」という――。
※本稿は、養老孟司『まるありがとう』(西日本出版社)の一部を再編集したものです。
猫は「しゃべらない」から信用できる
「養老さんにとってまるとはどんな存在ですか?」と聞かれて、よく「ものさしです」と答えた。
人間社会に長くいると、判断に迷うことがある。まるを眺めていれば、人間社会の“常識”に毒されず、物事の本質を見誤ることはないだろう。ものさしにする、というのはそういう意味である。そう思う理由の一つに、まるがしゃべらない、ということがある。
私は、人がしゃべったことは基本的には信用しない。そうなった原因は、1945(昭和20)年8月15日の体験である。
当時、私は小学2年生で、大人たちが敵襲に備え、「鬼畜米英」「本土決戦」「一億玉砕」などと言って一生懸命、訓練をしていたのを憶えている。ところが、あの日を境に、世の中ががらりと変わってしまった。「本土決戦」も「一億玉砕」も、そう言うのだから当然やるものと思っていたが、結局やらなかった。もしやったら最悪の状態になっただろうからやらなくてよかったが、どうせやらないのなら、そんなことを言うなよ、と思った。
戦後は一転して「マッカーサー万歳」となり、全体主義から個人尊重の世の中となった。その体験は私の人間形成に大きく影響し、理系に進んだのも研究対象が人間ではなく、「物」であることが大きい。物は決して嘘をつかない。医学部で解剖学を専攻したのも、死体は決してものを言わないから、作業していて気分が落ち着いた。死体が物かどうかは少し詳しい説明が必要だが、とにかくものを言わないことは確かである。