起業家人生開始も、当初は苦難続き
起業家としてスタートした当初は苦難続きだった。1回目の起業は家庭教師の「CtoC(個人間取引)」。インターネットを通じて先生と生徒をつなげるビジネスモデルだったものの、「先生と生徒の両方を同時に回さなければならず、難しかった」という。
翌年には中古車のインターネット通販で2回目の起業。アメリカではオートバイテルが成功していたから、日本でも潜在需要があるのではないか、との読みがあった。ところが、インターネット利用が期待通りに広がらず、鳴かず飛ばずのままで失敗に終わった。
立て続けに起業で2回も失敗。貯金も底を突いた。児玉は「失敗しなければ学べなかったことも多かった」と話す。
核心を突いた言葉だ。起業家教育の教科書として全米で広く使われる『STARTUP(スタートアップ)』(新潮社)の著者でコンサルタントのダイアナ・キャンダーは「スタートアップの圧倒的大多数は失敗する」としたうえで、次のように指摘している。
〈スタートアップについて学ぶ方法は百万通りある。しかし真に学ぶ方法は一つしかない。起業家自身がスタートアップの失敗・成功を経験することだ〉
ガールフレンドのワンルームに転がり込む
大学中退の19歳。仕送りに頼り続けるわけにもいかず、故郷の広島に戻って1歳年上のガールフレンド――将来の妻――のワンルームに転がり込んだ。同時にファミリーレストランでアルバイトも始めた。「今でも妻には頭が上がらない」
当時は平成不況で就職氷河期の真っただ中。彼自身は大学を中退していたものの、心の奥底では「学歴は絶対に必要」と薄々感じていた。そこで、ガールフレンドには就職せずに大学院へ行くようアドバイスした。
「学歴はすべてを楽にしてくれるパスポート。だから大学院へ進学して修士号を取得すればいい。修士を取れたら結婚しようよ」
要するに、3回目の起業で成功し、ガールフレンドが修士号を取得できるよう後押しすると宣言したに等しい。
3回目の起業はインターネットとは無関係で、英会話教材「エブリデイイングリッシュ」の通信販売だった。一時は国内売り上げが日本一になるほどの成功を収めた。本人は「運が良かったのかな」と振り返る。
もちろんガールフレンドにプロポーズし、彼女が修士号を取ったタイミングで結婚できた。24歳になっていた。