1960年、京都府で誕生したMKタクシー(当時はミナミタクシー)は、創業者の青木定雄氏がタクシー業界の古い慣習を一変させたことで顧客の人気を集めた。息子で前社長の青木政明氏をインタビューしたロバート・ホワイティング氏の著書『新東京アウトサイダーズ』(松井みどり訳、角川新書)より一部を紹介しよう――。
タクシー値下げ訴訟
写真=時事通信フォト
1985年1月31日、運輸省(現国土交通省)を相手取って起こした「タクシー運賃値下げ裁判」で勝訴し、記者会見するMKタクシーの南部昌也社長(左)とMKグループの青木定雄会長(大阪市の大阪地裁)

業界で当たり前だった「遠回り」をやめさせた

1960年当時の日本のタクシーは、客への対応が悪くて有名だった。車は薄汚く、運転手が道に不案内なことも多い。京都のタクシー会社は、改善する気などなかった。この業界は、政府に完全に統括されていたからだ。

料金はもちろんのこと、台数を増やす必要があれば、地元の大手タクシー会社に、政府が通達する。新しいタクシーの運転手を決めるのも、政府だ。

MKタクシー創業者の青木定雄は、初めてタクシーのライセンス、全部で10台分を手に入れたとき、すべてを変え始めた。

彼のタクシーは、常に塵一つない状態に保つこと。運転手はいつも礼儀正しくすること。

無作法で有名だったこの業界では、異例のことだった。運転手はたいてい口を利かないか、ただボソッと何か言うだけ。青木はさらに、自社の運転手たちに地図の見方を教え、京都のどの地点からでも、目的地までのベストルートを行く訓練をした。これもまた、この業界では異例だ。それまでは、運転手が遠回りすることで有名だった。

青木が運転手に義務付けた「4つのセリフ」

運転手たちは、客に4つのセリフを言うよう、義務付けられた。

「ご乗車ありがとうございます。私の名前は×××です。お客様を目的地まで安全にお連れいたします」
「お客様の目的地は×××でよろしいですか?」
「お忘れ物がないか、どうぞご確認ください」
「MKタクシーをご利用くださいまして、ありがとうございました」

女性客が深夜にタクシーを降りたときは、暗闇の中、道がわかりやすいように、ライトで照らしてやること。突然雨が降り出したときは、客に傘をかざすこと。青木によれば、客がタクシーに乗ることで、多少古臭いにしても、さわやかでセンチメンタルな気分を味わえるようにすべきなのだ。

タクシーが乗車拒否するのが普通の時代だった。とくに深夜、終電に乗り遅れた客は、タクシーに頼る。すると運転手は、メーターの数倍の料金を請求したり、長距離の客だけを乗せたりしたものだ。しかし、青木のタクシーは違う。誰でも、正規の料金で乗せてくれる。だから人々は、MKタクシーをとても気に入った。