大企業は「戦略的グダグダ」ではなく「真正グダグダ」である

しかし、コロナ禍が去ってみると、企業間の格差、産業間の実力格差は広がっているだろう。そして、赤字補塡ほてんの借金を積み上げる一方で未来投資をためらっていた企業はゾンビ化していく可能性が高い。

ゾンビにいくら鮮血を注いでもゾンビとして生きながらえるだけであり、人間には戻らない。それと同じように、生産性の低い企業が、利益を上げる本来あるべき企業として蘇るのではなく、生産性が低いまま延命してしまうことになる。

私は20年前の金融危機に際し、産業再生機構(※3)を率いる立場になった時、現場のプロフェッショナル300名とともに公的資金10兆円を産業と金融の一体再生のために駆使したが、ゾンビ企業の延命にはカネを使わなかった。

そのことで多方面から矢のような非難を浴びたが、企業をゾンビ状態で延命させるべきではない。政府が救うべきはゾンビ企業ではなく、稼ぐ力が残っている事業であり、そこで働く人間なのだ。だから、むしろ経済危機に際して起きる企業の新陳代謝を止めるべきではない。

政府は企業の退出に伴う社会的コストの最小化、すなわちオーナー経営者の個人破産の回避や、労働者の転職や職業訓練、リカレント教育(※4)にこそ金を使うべきだと主張してきた。

要は社会全体として、過度な企業内共助の仕組みを脱却しよう、政府は企業、産業の新陳代謝を前提とした、公助共助連動型の包摂的なセーフティネットを整備すべきと主張してきたのである。

しかし、その後も企業内共助依存と「二重の保護」構造の転換は進まず、ひとたび経済危機が起こって企業が風前の灯になりかけると、毎回、政府が巨額のばらまきで救済する。

そんなズブズブの官民関係が続いているのだ。

バブル崩壊後の金融危機、ITバブルの崩壊、リーマンショック、東日本大震災、そしてコロナ禍と、この20年間、日本経済は何度も危機を経験してきた。

そこで淘汰による新陳代謝が起こるなり、徹底的な自己改革によって付加価値生産性が上がるなりしていれば、日本の産業はもっと活発でおもしろいものになっていたかもしれない。

しかし、それを結果的に妨げてきた「二重の保護」構造は政治的にきわめて強固で、これからもなかなか崩せないだろう。官にも民にもその仕組みに寄りかかっている人がたくさんいて、特に、少子高齢化で数はたくさんいる上の世代の選挙民自身に、この構造のまま自分たちは逃げ切れるのではないか、という動機づけが強烈に働いているのだから。

産業再生機構の当時から感じていたのは、政府であれ、大企業であれ、日本の古典的なエスタブリッシュメント組織の体質をひとことで言うなら「グダグダ」であるということだ。すべてが固定的で旧時代的。何かというと「ことなかれ」の保身に走る。悪しき「昭和」である。

のらりくらりと世間の雑音をかわしつつ、やるべきことをしたたかに着々とやる、といった「戦略的グダグダ」ではない。本質的なことを考えていないから有効策を講じられない、大きな効果が見込める政策を断行する勇気もないという、いわば「真正グダグダ」である。

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「有事はない」という建前が崩壊し続けた失われた30年

昭和的グダグダ感の根っこの1つには、敗戦後にできた日本国憲法の成立から引き継がれてきた「有事というものは存在しない」という建前路線があるように思う。

憲法はその前文と第9条において、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して戦争放棄を規定している。この憲法が成立した1946年当時は吉田茂内閣の時代だ。吉田は英国流のプラグマティストで自由主義者である。

彼はその後の東西冷戦の時代において、むしろこの憲法を盾に、米国の核の傘の下で軽武装経済重視の国家再建を進めることになる。

いわば、美しい建前を利用して、国家再建という現実政策をプラグマティックに推し進めたのである。

実際、第二次世界大戦が終結してからの20世紀後半、世界はおおむね平和だった。1950年に始まる朝鮮戦争や、1960年代半ばから泥沼化していくベトナム戦争などの局地戦争はあるものの、世界的な戦争は起こっていない。少なくとも日本が当事者として大きな戦争に直接巻き込まれる事態は起きなかった。

そして戦後の日本は、明治時代の「富国強兵」路線マイナス強兵の加工貿易立国による富国路線によって、敗戦による荒廃からみごとに立ち直っていった。

そして長きにわたる平和と経済的繁栄によって、最初はあくまでも建前だった「有事はない」が、40年、50年と経つうちに実体的な前提になっていったのである。

目をつぶれば何も見えないのと同じで、この国のあらゆる仕組みが「有事はない」前提でつくられるようになっていく。

しかし、それほど長期間にわたり平時が続くことのほうが、本来は異常なのだ。現に20世紀末期から21世紀にかけて、元号が昭和から平成に変わると、バブル経済が崩壊し、1995年の阪神淡路、2011年の東日本という2つの大震災が起こり、原発事故も起き、コロナ禍というパンデミックが起こった。

米中対立の動向など国際情勢もきな臭くなる一方だ。南海トラフ地震や富士山噴火と、巨大規模の災害が高い確率で起こる可能性も指摘されている。