別れの痛みを「再会の希望」で紛らわさない

別れは、儚く、悲しく、せつないものです。そのようにして自分の中に流れる感情や自分と相手の間に流れる感情を、お互いの関係性の中で起きたことを「そのようであるならば」と、ありのまま受けとめる。そうした態度が「左様であるならば」、つまり「さようなら」という言語表現として伝えられてきました。こうした日常的な言葉の中にこそ、日本人の感性やものごとの受け止め方、考え方や哲学が特徴的に表れています。

アメリカの紀行作家でアン・リンドバーグという人がいます。彼女の夫は1927年に単独で大西洋無着陸横断飛行をしたチャールズ・リンドバーグでもあり、アン・リンドバーグもまた世界中の国を渡り歩きながら旅をして、行く先々で多くの出会いと別れを繰り返しました。世界中を旅する中で日本語の「さよなら」という言葉が最も琴線に響いたようで、その体験を『翼よ、北に』(みすず書房・2002年)という著作で記しています。

「サヨナラ」を文字どおりに訳すと、「そうならなければならないなら」という意味だという。
これまでに耳にした別れの言葉のうちで、このように美しい言葉をわたしは知らない。
〈Auf Wiedersehen〉や〈Au revoir〉や〈Till we meet again〉のように、別れの痛みを再会の希望によって紛らわそうという試みを「サヨナラ」はしない。
目をしばたたいて涙を健気に抑えて告げる〈Farewell〉のように、別離の苦い味わいを避けてもいない。
……けれども「サヨナラ」は言いすぎもしなければ、言い足りなくもない。
それは事実をあるがままに受け入れている。
人生の理解のすべてがその四音のうちにこもっている。
ひそかにくすぶっているものを含めて、すべての感情がそのうちに埋み火のようにこもっているが、それ自体は何も語らない。言葉にしないGood-byeであり、心を込めて握る暖かさなのだ――「サヨナラ」は。

AnneMorrowLindbergh(著)、中村妙子(訳)『翼よ、北に』(みすず書房・2002年)

受け止めた過去を、未来へとつなげていく言葉

アン・リンドバーグは、日本で言われた「さよなら」という不思議な語感を持つ四文字の別れ言葉にすごく惹かれたと記しています。別れを紛らわせたり、悲しんだりするのではなく、ありのまま受け入れる。しかも「そうならなければならないなら」というのは、受け止めた過去を未来へとつなげていく言葉なのだと記述しています。

長い人生の中では、出会いもあれば別れもあります。特に別れの瞬間には、喜怒哀楽すべてが入り混じった複雑な感情が呼び起こされます。静かだった水面をかき乱されるかのように、あらゆる過去の感情が現在のものとして同時に押し寄せてきます。

学校や職場での別れだけではありません。恋愛・死別の別れなど、わたしたちの魂に深く影響する別れも必ず訪れます。そして、別れは努力で解決できるものではなく、自分の力が及ばない、どうすることもできないものばかりです。

別れのときに使う「さようなら」「さよなら」は、接続詞であると述べました。つまり、自分ではどうにもできないこともあるけれど、そのことをごまかさずにありのままを受け止め、そうした経験を未来へとつなげようとする視点や意思も含めて、「さよなら」という言葉の中に折りたたまれているのです。