※本稿は、稲葉俊郎『いのちの居場所』(扶桑社)の一部を再編集したものです。
東京大学では1年間かけて「さよなら」だけを学んだ
人生には、たくさんの出会いと別れがあります。そうした出会いと別れは、一つのセットのようにして互いを補い合う関係にあります。出会いがあるからこそ別れがあり、別れがあるからこそ新しい出会いも生まれます。
別れの言葉は世界中に存在していますが、日本語で使われる「さよなら」「さようなら」という言葉は、もともとどのような言葉なのかご存じでしょうか。わたしは学生時代、この言葉だけについて1年間の授業を受けました。そのくらいの深さと強度がこの言葉には秘められているようです。
竹内整一著『日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか』(筑摩書房、2009年)という本があります。わたしは医学部の学生時代に、竹内整一先生の講義で学んでいました。当時、竹内先生は東京大学文学部の教授であり、倫理学・日本思想史を専門にされていました。大和言葉も含め、日本古来の言葉そのものの研究もされていました。
わたしは学生時代、医学だけでなく文学や哲学や宗教など、人間の「考える営み」に関心をもっていました。芸術や音楽と違って、哲学のようにものごとを深く考えるときには「言葉」を介して深い井戸に潜っていく感覚があり、「言葉」そのものにも興味があったのです。
自分の中では医学や生命を深く考えることと、哲学や言葉を深く学ぶことはつながっていたので、他学部の授業に潜り込んで興味が赴くままに学んでいました。学問は、学ぼうとする人に対しては常に開かれているものです。そうした学生時代に「さようなら」の意味を深く学ぶ機会があり、今でもその言葉を聞くたびに思い出すのです。
「別れ言葉」の3パターンに分類できない
世界の別れ言葉の語源として、一つには「神のご加護を祈る」という意味があります。英語の“good-bye”はもともと“God be with you”が短くなった言葉で、「神があなたとともにあらんことを祈る」という意味です。スペイン語の“adios”も「神のご加護を祈る」という意味の言葉が、別れの言葉として使われています。
他によく使われるのが、「また会いましょう」という意味の別れ言葉です。英語の“see you again”や中国語の「再見(ツァイチェン)」などです。それ以外には、「お元気で」という意味の別れ言葉もあります。英語の“farewell”や韓国語の「안녕히계세요(アンニョンヒケセヨ)」などもそうした意味合いの言葉です。
世界の「別れ言葉」は、「神のご加護を祈る」、「また会いましょう」、「お元気で」と言った三つのパターンに分類されます。ところが、日本語の「さようなら」はどのパターンにも当てはまらない特殊な言葉なのです。「さようなら」に似た日本語としては、「さらば」「それでは」「じゃあ」「ほな」などもありますが、いずれも上記のカテゴリーに当てはまりません。日本語は、世界中の言語表現の中でも極めて珍しい言葉を別れ言葉として採用しているようです。
では、「さようなら」は、どういう意味を含んだ言葉なのでしょうか。「さようなら」と似た「さらば」は、「左様であるならば」を略した言葉です。「左様であるならば」は、「そのようであるならば」という意味であり、言葉の分類としては接続詞にあたります。つまり、日本語は接続詞を別れのあいさつとして転用しているのです。