リーマン・ショックで大打撃。リストラ通達に全国を奔走…
2008年4月、小松さんは代表取締役に就任。リクルートグループとはまるで違う社風に圧倒された。
「リクルートグループは自由闊達で、上司も部下も関係なくフラットに言い合える風土が強み。一方、この会社はトップの統制が利いた組織で、パワーのある社員たちは遂行力が強い。私に求められたのは、スタッフサービスの強みを生かしたまま適切な経営を入れていくこと。皆と生産性の高い組織づくりを目指していた矢先、リーマン・ショックが起きてしまい……」
人材派遣事業も大きな打撃を受け、縮小せざるを得ない状況になった。地方の事務センターを閉鎖しなければならず、小松さんは全国各地にあるセンターを訪れ、告知説明会を実施。従業員にリストラを通達するつらい職務に奔走した。
出張中に届いた、夫からの一通のメール
その全国出張の最中、夫から思いがけない連絡があった。
「小3の息子が学校に行かないというメールでした。すぐ帰るわけにも行かず、不安はつのるばかり。私が寂しい思いをさせたから……と自分を責める思いもありました」。
出張を終えて家に帰っても、息子は学校へ行こうとしない。本人に理由を聞いても「わからない」と言い、親としても理解できないことが苦しかった。何とか登校させなければと必死の思いで、朝になると力ずくで学校正門まで連れて行こうとするが、息子は登校したくなくて逃げ回る。家に引きこもる生活が続いても仕事を休むわけにいかず、いっそ昼食も用意しなければ給食がある学校へ行く気になるのでは、と心を鬼にして出社したこともあった。
「心配でたまらず、自分の子育ても間違っていたのではと葛藤する毎日でした。ネットでいろんな情報を集め、学校の先生やカウンセラーとも連携をとって手を尽くしてみる。ようやく『学校へ戻る』と息子が言い出したのは9カ月後。その当日朝に、担任の先生が『昨日までも毎日普通に学校に来ていたように、普通に接するように』とお話くださっていたおかげで、クラスのお友だちみんなが、息子が登校していた頃と同じように接してくれて。自然になじめたと言っていました」
二度目の不登校。母として決めたこと
小4の秋から登校し、息子は無事卒業する。中学校の入学式にはうれしそうに出かけ、運動部に入って練習に励むなど、楽しそうに中学生活を送っていた。だが、半年過ぎた秋の体育祭の日、帰宅するとリビングのソファに倒れ込み、起き上がろうとしない。再び学校へ行けなくなってしまった。
「もう中学生で身体も大きいので学校へ引きずって行くわけにもいかず(笑)。私も小学校の時は苦労して学校へ戻しましたが、1回目の不登校を克服した当時、『オレは二度と不登校にはならない。もうあんなつらい思いはしたくない』と言っていたんですね。それなのに、また行けなくなったということはよほど嫌だったのでしょう。私も静観することにしたのです」
息子はずっと家に引きこもり、夜中までゲームをしている。朝は起きてこないので、昼食を用意して出社するように。考えると不安に押しつぶされそうになるものの、仕事に集中している間だけはつらいことを忘れられる。当時の監査役も細やかな人で、月に一度の面談では息子のことも気遣ってくれた。
二度目の不登校は1年半におよぶ。その間、小松さんは不登校生を受け入れる学校やフリースクールなどを探し、親子で学校見学に出かけた。本人は「俺、行かないから」とその気もなかったが、中2が終わる頃「働くか、学校生活をやり直すかのどちらかだよね。どうしようか」と進路をじっくり話し合った末に、以前見学へ行った県外の中高一貫校へ行くと自ら言い出したという。中3の4月に転校し、それから4年間の寮生活を送りながら学校へ通い続けた。
「最初に送っていったとき別れを告げると、息子は捨てられた子犬のような表情で。私も後ろ髪引かれる思いで泣きながら後にしました。それから月一回会いに行くと、息子からよく『ありがとう』と言ってくれるようになったのです」