義母の家で見つけた「黒焦げの鍋」
高校卒業後、息子は自宅へ戻って、一年間の浪人生活を送ることに。もう引きこもることはなく日々の生活を楽しんでいた。そして大学へと進学し、一人暮らしを始めたのである。この間、夫も早期定年退職をして、第二の人生をスタートする。そして小松さんもまた転機を迎えていた。それは義母の介護だった。
義父を早く亡くし、一人暮らしをしていた義母は気丈な人だったが、少しずつ変調が表れた。脳の検査を受けて、認知症と診断されたのは5年前。それでもデイサービスやヘルパーを頼んで、何とか生活できていたが、次第に難しくなっていく。
夫と二人で月一度程度訪問し、掃除や食事をサポートしていたが、あるときガス台に置かれた黒焦げの鍋を見つけた。火事を案じて、IHのコンロに買い替えたところ、義母は操作方法を覚えられず、「私はもうお湯も沸かせないの」と嘆いた。デイサービスが休みになる年末年始は自宅へ招いたが、何度理由を説明しても「私はなぜここにいるの? ここは、どこなの?」「早く帰りたい」と訴え、気持ちも不安定になってしまう様子を見ていて、そろそろ潮時と判断した。
「夫も早期退職して家にいたので、『もうあなたしかいないんじゃないの?』と。彼は次男ですが、今の時代は長男長女が見るべきということもない。私自身もサポートするからと、夫の背中を押しました」
毎夜のルーティンは色鮮やかなディナー
小松さんには、かつて実母を看取ったときのつらい経験があった。大阪にいる母が認知症になった後、夏休みや年末年始には帰省して世話をしていたが、母は外へ出ると帰れなくなることが度々続き、介護施設へ入所した方がいいのではと、実家で見ていた姉に勧めた。母もその方が安全に暮らせるのではと考えた末のことだが、母は入所してまもなく娘たちの顔も認識できなくなってしまう。最期はホームの部屋で一人で亡くなった。
「一人で孤独に逝った母を想うと、あのときの選択は適切だったのか……」と後悔の念が消えなかったという小松さん。認知症が進み、介護が必要になっても、義母は「自宅で過ごしたい」と願っていた。
「義母は70歳過ぎまで大学教員として働き、子ども4人を育てあげた人。私にとって尊敬できる女性であり、私たち夫婦にはもう唯一の親なので、最期まで幸せに生きてもらうためにできることをしようと思ったのです」
2020年から夫婦で介護する生活をスタート。義母が暮らす家の近くへ転居し、テレワークと出勤を活用しながら仕事と両立させている。義母は毎日デイサービスへ通い、夕方には夫婦の家へ訪れ、一緒に夕食をとる。炊事を担当する夫が心づくしの料理をつくり、小松さんが彩りよく盛り付ける。食卓には義母が好きな色あざやかな花も飾る。それを見た義母は毎夜「私、幸せね。ありがとう」と喜んでくれるという。老いる不安でうつ気味な義母を励まし、夫婦で晩酌しながら、3人でゆっくり過ごす時間を楽しもうと心がけているそうだ。