「結婚したことでこんなことになっちゃって…」
小松さんにとって最初の転機は結婚だった。当時はリクルートスタッフィングの大阪支社で働いていたが、関東の企業に勤める夫と結婚することになり、東京へ転勤することになった。当時は、女性がプライベート理由で転勤させてもらえる事例がほとんどなかったため、自分は仕事を辞めるしかないだろうと退職を申し出たのだ。
しかし上司の返答は意外なものだった。「東京本社にポストがあるので転勤すればいい」。新たな異動先は、派遣スタッフの給与や税金、社会保険手続きなどの業務を担う部署。それまでは派遣業の花形職ともいえる、求職者と企業のマッチングを行うコーディネート職に就いていたが、本社では裏方のバックヤード業務へまわることになった。小松さんは正直、ショックを受けたという。
「異動のポストをいただいことはありがたかったけれど……。私の中では地味でお役所的な部署というイメージがあって、自分に務まるだろうかと。結婚したことでこんなことになっちゃって……と泣きながら帰ったのを覚えています」
いざ、現場に向かうと、目の前で自分よりも若い人たちがスピーディーに効率高く、次々にバックヤードの処理を進めている様子を見て「私も負けてられない」と一念発起。業務に就くと、給与や税金など生活にも役立つ知識を得られることがわかり、派遣スタッフの雇用を支える業務にやりがいを感じた。業務を効率化させる策を思いつくと面白く、3年目には課長に昇進。若い部下たちから刺激を受けながら楽しく働いていた。
「部長はあなたがやった方がいい」
やがて次なる転機を迎えたのは30代半ば。出産を機に、育児休業に入ることになったのだ。1年後、課長職としての復帰は難しいと考えプレイングマネジャーのような立場で部長補佐業務に従事するが、組織マネジメントに携われずモチベーションが大きくダウン。「この1年、はじめて仕事をつまらないと思いました」と小松さんは苦笑する。
その後、補佐をしていた上司に突然呼び出された小松さんは「部長はあなたがやった方がいい」と、部長職への推薦を受けた。しかし保育園のお迎えがあるから、夕方6時には退社しなければいけない。「そんな働き方しかできない私が部長になってもいいんですか?」と尋ねると、「時間なんて気にしなくてもいいよ」と言われ、覚悟を決めたという。
「私の役割はメンバーの仕事を滞らせないこと。組織長として決断すべきことは日中に全部判断し、あとは彼らが迷わず遂行できる状態にしてから帰るようにしました。けれどトラブルを抱えていれば夜中まで考えてしまいますし、クレーム対応の連絡が入ると子どもをテレビの前に座らせ、別の部屋にこもってお詫びの電話をするなどしていました。さすがにしんどかったけれど、私は育休中に社会との断絶を強く感じたことが何よりとってもつらかったんですね。性格上、主婦業だけだと耐えられないから、『辞めたい』と思ったときにも自分に言い聞かせながら仕事を続けてきたような気がします」
夫と子育ても協力しながら何とか両立し、やがて息子は小学生に。その頃、小松さんは社長からさらなる大任を命じられた。リクルートが、競合するスタッフサービス・ホールディングスを買収。新体制となるスタッフサービス・オフィスマネジメントの代表取締役社長に抜擢されたのだ。スタッフサービスグループの人材総合サービスに関わるバックヤード業務を担う会社で、700人の従業員を率いることになる。「まさか社長なんて!」と寝耳に水の辞令だったが、そこからはまさに、仕事でも、プライベートでも、未知の試練が待ち受けていたのである。