「心身ともに健全な者」にしか受験資格が与えられない私学への違和感

基本的に「公」の場での身体が弱い人に対する配慮のない言い方は気になります。

たとえば一部の私立中学や高校の受験資格には「心身ともに健全な者」と記載されていることがあります。難病を抱えていたり身体に障がいのある子供は門前払いになってしまい、試験さえ受けさせてもらえないこともあります

「健全」という言葉を辞書で引くと「正常に働き、健康であること。完全なこと」とあります。

ただ、学校や会社など、どこでもそうですが「完全な人」ばかりを求めていては、実際にこの社会に存在する「完全でない人」を排除してしまうことになります。そのような状態を健全だとは言えないのではないでしょうか。

子供が生まれたとき、「将来はどんな子になってほしいですか?」と聞かれた親が「人に迷惑をかけない子で、健康であってくれれば、それでいい」と答えることがあります。

わが子が健康であることは、どこの国の親も望むことです。このように親がプライベートなこととして家族の健康について語るのは問題ありませんが、その一方で、会社など「公」の要素が強いところで、やたらと健康や体調管理を強調するのは問題だと思うのです。

そこには力を持つ者や立場が上の人が、下の者に言い聞かせる側面があります。たとえば「体調管理も仕事のうち」という言葉をよく聞きますが、社長が社員に対してそれを言うことはあっても、社員が社長に対して言うことはまずないでしょう。

組織の中で立場が上だからといって、部下の健康にまで言及してよいものなのでしょうか? ドイツで育った私は毎回疑問に思うのです。

日本とドイツの「健康でいてね」のニュアンスの違い

では、ドイツでは他人の健康に全く言及しないかと言うとそうではなく、人と会って別れ際に「Bleib gesund!(健康でいてね!)」と言うことがあります。日本語の「元気でね」というような意味合いです。

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「健康でいてね」「元気でね」はどちらも優しい言葉です。そんな言葉を大事にしたいとは思うものの、相手に対して「元気でないと許さない」「病気になっても知らないよ」というニュアンスを含んだ言葉を投げかけることは問題だと思います。「体調管理は自己責任」というような言葉にはそういった冷たさを感じます。