一方で「新型コロナには絶対に罹りたくない。100%とはいかずともリスクは最大限に避けたい」と考える人は、いかなる状況であってもN95マスクを隙間なくしっかり装着することを選ぶに違いない。
マスクは顔の辺りに着けていればいいというものではない。布切れをただ顔に当てがっていても、それは“裸顔”と同じことだ。しかし今、まったくの裸顔はアウトで白い目で見られてしまう一方で、まったく意味はなくとも何かを顔に当てていればオッケーという風潮だ。この由々しき現状は見直す必要があるだろう。形ばかりのマスクなら、やめてしまっても感染拡大に大して影響しないだろうとも思う。
マスクは自分のためではなく、相手のためにある
新型コロナに限らず昔から感染症がひとたび流行すると、人々は“他者からうつされること”には恐怖や不安を感じるものの、“自分が他者にうつすこと”について同様の心配をしているかと言えば、必ずしもそうとは限らない。
もし仮に自分あるいは相手が感染していたとしても、そして互いにうつし、うつされたとしても構わないと思える人たちだけの集団であれば、その中では互いにマスクは不要だろう。しかしその中に1人でも不安な人がいるならば、その人を気遣う優しさと心の余裕は持ちたいものだ。
「人からうつされるより、人にうつしてしまうことを心配しよう」という気持ちを多くの人が抱けるようになれば、マスクの意味も使い方も、他人に言われずとも自ずと見えてくるはずだ。
「着けるならばしっかり着ける」
「しっかり着ける気がないならば外す」
だが外した場合は、たとえ感染力のある飛沫でなくとも自分の唾液を相手の顔面に飛び散らかしているとの認識は持っていて良かろう。それを自分が認めた上でマスクを外すか、相手もそれを受け入れられるか。
ポストコロナ社会、マスクを着けるも外すも個人が自分自身の頭で考えることが大切だ。少なくとも国から一律に指図される類いのものではない。それだけは確かだ。