ひどい咳込みをしているのに手で口元を塞げないお子さんや、インフルエンザの迅速抗原検査のために鼻腔に綿棒を挿入するときなど、多くの飛沫を浴びそうな場合は着けることもあったが、それ以外のときは“裸顔”であった。それでも医師人生28年以上にわたってインフルエンザをもらってしまったことは過去ただの一度もない。

このようなことを言うとよく驚かれるのだが、ノーマスクで長年風邪診療を続けてきて、私と同様に風邪にもインフルエンザにも一切かかったことがないという医師は決して珍しくない。むしろ私の周りにはゴロゴロいる。

ではなぜ風邪診療ではノーマスクの医師も珍しくなかったのに、手術中にはすべての医師がマスク必須なのか。それはマスク着用の意味が、両者で異なるからだ。

「うつらない」ためではなく、「うつさない」ためのもの

手術中にマスクをするのは、口をマスクでさえぎることで、唾液という汚いモノを術野(患者さんの傷口の中や手術器具等)という清潔な領域に飛び散らかさないようにするという意味がある。もちろん手術中にスタッフ全員が一切無言であればノーマスクでもよいという理屈にはなろうが、現実問題そうはいかない。だからマスク必須なのだ。

一方で自らを感染症から守るためのマスク着用という意味については、コロナ禍以前の私たち医師の間では、その効果は限定的という考え方が多くを占めていたように思う。「直接飛沫を浴びない分、ノーマスクよりはマシだろうがマスク着用したところで感染リスクはゼロにはできない。マスクすべきは咳込んでいる患者のほうで、元気な自分は患者に何もうつすはずはないのだから、わざわざ着用しない」と考える医師は決して少数派ではなかった。

つまりマスクとは、感染力のある飛沫を咳やくしゃみによって飛散させる可能性の高い人が他者にうつさぬために着けるものであって、感染症に罹患りかんしていない健康な人がうつされないために着用するものではない、というのが、少なくない数の医療者に共通した理解であったとも言える。

その認識を、無症状の感染者からも感染する、感染者は発症前でも他者に感染させ得るという、極めて厄介な新型コロナウイルス感染症の出現によって、変えざるを得なくなったのである。