『聖書』自体が企画の源泉
世界史を理解するために『聖書』は必須である。『旧約聖書』と『新約聖書』は、絶対に読んでおかなければならない。ムー的なことでいえば、オカルトの基本は『聖書』にあるといっても過言ではない。
西洋魔術の根本カバラはユダヤ教神秘主義であり、グノーシス主義はキリスト教の異端である。ノストラダムス自身、ユダヤ人にしてカトリック信者であった。ノストラダムスの大予言や終末預言、さらには世界支配の陰謀論などは、みな『聖書』の知識を前提として書かれているのである。
しかるに、月刊『ムー』の記事を企画するにあたって『聖書』は基本中の基本。そもそも『聖書』自体が企画の源泉だといってもいいぐらいだ。
逆に、もしムー的なことに興味があるのなら、魔術や予言、陰謀論をきっかけに『聖書』を読んでみることをおすすめしたい。いきなり分厚い『聖書』を読むのに抵抗があるならば、粗筋が書かれた入門書から始めるのもいい。『聖書』の漫画もある。最近ではネットで多くの動画がアップされているから、それを見てもいいだろう。今まで見えなかったことが見えてくるだろう。
世界を理解することはもちろん、回りまわって、最終的には日本の謎を解く鍵にもなる。日本人とユダヤ人が同じ祖先をもつきょうだいであることも、実は『聖書』を読むことでわかってくるはずだ。『旧約聖書』のモーセ五書、いわゆる『トーラー』の内容を知れば、いかに日本の神道と古代ユダヤ人の習慣が似ているか、驚くに違いない。
あるテレビ番組に「絶対にやった方がいい」と伝えたこと
最近、オカルト番組が少なくなったという話を聞く。コンプライアンス・コードが厳しくなり、一方的な主張を展開する番組が作りづらくなっているという。オカルトも、賛否両論を前面に出す必要があるのだとか。もっとも、ムー的なテーマの番組という意味では、さほど少なくなったという印象がないのも事実である。
そんなムー的なテレビ番組のひとつに「T」があった。超常現象などをテーマに、科学的な調査および分析を行う。民間の調査機関という設定は、もちろん架空であるが、調査そのものはリアルな番組であった。
実は、この企画がもちあがったとき、関係者が『ムー』編集部に相談に来たことがあった。超常現象を扱う番組では、こうしたケースは珍しくない。完全にフィクションであるが、ドラマ『トリック』のスタッフが来られたこともある。
新しい「T」なる番組を制作するにあたって、もっとも重要なのはネタである。月刊『ムー』の記事を参考にしたいので、ご協力を仰ぎたいという内容であったが、そのとき、ひとつアドバイスしたことがある。
記事は筆者や研究家のものなので、それらの出典などを明記すればいいが、もっと大切なことがある。超常現象を調査したとしても、これで完全に解明できたと結論づけてはならない。けっして決めつけてはならない。決めつければ、必ず反感を買う。
とくに超常現象に興味をもっている視聴者は月刊『ムー』の読者のように一家言をもっている。自説と異なる結果を最終結論だと断定されれば、おもしろくないのだ。
「真相がわかり次第、追って報告する」
調査の結果を出すのはいい。番組として結論を出してもいいが、それが100パーセント正しいというスタンスはとるな。どこかに1パーセント、他の可能性を認める余裕をもて。これで、すべてが解明できたわけではない。引き続き、調査を続行する。そう、最後にひと言あれば、一家言をもっている視聴者の留飲は下がる。と同時に、続編を期待することになるのだ、と。
幸いにして、進言は受け入れられたようで、実際の番組では「真相がわかり次第、追って報告する」というナレーションでしめくくる形で放映された。結果、視聴率も好調で、続編が作られた。