自分の考えを捨てられるリーダー
前田チームの新商品は、プレミアムビールではなく、通常価格で発売することが決まった。しかし、肝心の商品名がまだ決まっていない。
「キリン・ジャパン」という名前を前田は気に入っていた。しかし、社内の評判はいまいちで、消費者調査でも好感度スコアは低かった。
一方、新商品の発売日は目前に迫っていた。「スーパードライ」に対抗する大型商品ゆえ、少しでも売りやすい時期に発売したかった。そこで、花見をはじめ、節目の宴会需要が高まる、春先の3月22日を発売日と決めていた。
もはや時間の余裕はなかった。一刻も早く商品名を決めなければならない。前田はチームのメンバーを帝国ホテルのスイートルームに集めた。
社内のメンバーはもちろん、フリーランスや電通所属のアートディレクター、デザイナーなど、プロジェクトに関係する全員が集結する。
「『キリン・ジャパン』じゃ、ダメですよ。前田さん」
会議の席上、外部のデザイナーがサラッと厳しい意見を言う。前田は特に反論もせず、ニヤニヤして聞いていた。
自分の意見や仮説が否定されても、前田は不快感を態度に表したりしなかった。自分とは違う意見であっても、飄々とした態度で受け入れる。
前田はいつも自分を特別扱いにはしなかった。客観的に見て、自分の意見より周囲の意見のほうが正しいなら、躊躇なく採用する。前田はそういうリーダーだった。
「一番搾り」が誕生した日
帝国ホテルのスイートルームでは、商品名をめぐって侃々諤々の議論が続く。有望な案が出るたび、前田は大きめのポストイットに書き、壁にペタペタ貼っていく。
しかし、議論は紛糾に紛糾を重ねる。太陽が沈み、とうとう深夜になったが、そのまま会議は続けられた。
この会議はのちに「暁の会議」と呼ばれることになる。
「このビールの特徴は『一番搾り麦汁だけを使った贅沢なビール』という点にある。だったらストレートに『一番搾り』ではどうだろう」
もはや夜も更け、明け方近くになった頃、誰かがふとそんなことを言った。すると前田がポストイットに「一番搾り」と書き、壁に貼る。
「たしかに『一番搾り』は最大の特徴だ。ただ、製法を名前にしたビールなんて前例がないよ」
寝不足の目をこすりつつ、早速反対意見を言う者がいた。
「『一番搾り』だと、まるで日本酒の名前みたいな印象だな……。たしかそんな名前の日本酒があったと思う」
あくびをかみ殺しながらそう言う者もいた。事実、新潟県新発田市の菊水酒造から、「ふなぐち菊水一番しぼり」という日本酒が販売されてはいた。ただ新商品はあくまでビールである。
否定的な意見ばかりが続いたのち、開発チームで紅一点の福山紫乃がこう言った。
「私は素敵な名前だと思います」
これをきっかけに、「一番搾り」に好意的な意見が続く。帝国ホテルの窓から目を刺すような朝日が差し込む頃には、反対する者もいなくなっていた。
こうして、新製品の名前は「一番搾り」に決まる。
89年の12月、年の瀬の出来事だった。