コロナ禍で婦人科系の腫瘍の再発が発覚

2020年10月。義実家には何度か買い手が現れては頓挫してしまうことが続いたが、義父の立ち会いのもと、ようやく契約まで終了。コロナの影響であまり面会できず、久しぶりに会った義父は、少しふっくらして顔色も良く、要介護3の認知症とは思えないほどしっかりしていた。不動産屋と義父、夫とのやりとりを見ていた能登さんは、「やっとここまでこれた……」と感慨深く、涙がこみ上げて来るのを抑えられなかった。

2021年2月。能登さんは20代の頃に婦人科系の腫瘍(良性)の切除と甲状腺腫瘍(良性)の手術を受けたことがあるが、婦人科系の腫瘍の再発が発覚し、手術を受けることに。育児と介護がある能登さんは日帰り手術を希望し、義母を3日だけショートステイに預け、自宅で安静に過ごした。

そして3月。義父が要介護3になってから申し込んでいた特養に空きが出たという連絡が入る。

義実家が売却できたため、借金は完済し、これまで夫が立て替えた義父母の生活費もすべて精算済み。義父が特養に移れば、残った貯金と年金で義両親は生活できる。「義実家も売れて、お義父さんの特養も決まるなんて……夢じゃないよね?」。能登さんは自分の頬をつねった。

「ダブルケア(義父母介護と育児)をしていて最もつらいのは、かわいい息子たちに自分の全てを注げないことです。認知症の義両親は、子どもが熱を出したと伝えても忘れてしまうため、子どもの看病に集中してあげられません。子どもが病気の時が一番しんどいと思いました」

写真=iStock.com/SanyaSM
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人としてダメな義姉に比べ、いつも影で支えてくれた実姉

能登さんがつらいとき、影で支えてくれたのは実の姉だった。姉は、小さい頃から能登さんの一番の理解者で、困ったときはいつも話を聞いてくれた。しかし、今は姉にも家庭があるため、つらい・苦しいはなるべくお風呂で泣いて流し、代わりに愛しい息子たちの笑顔とハグでパワーをもらった。

「私としては、仕事であれば介護にはやりがいや喜びばかりなのですが、身内の介護を始めて、『こんなにもやりがいや喜びがないものなのか!』とびっくりしました。義両親が楽しそうにしている姿を見たり、おいしいと言ってご飯を食べたりする姿を見ても、『良かったね』とは思いますが、やりがいや喜びに直結しません。きっとその一瞬一瞬よりも、自分たちの生活にかかる制限や負担感のほうが大きいからだと思います」

介護のプロである能登さん夫婦でも、在宅介護は楽ではないのだ。素人では難しいはずだ。

「実際に在宅介護をしてみて、『お金があったらな……』と何度思ったかわかりませんし、介護サービスを利用する際は、『お金はかかるけど、少しでも楽になるなら』と何度も思いました。お金は、健康なら働いて稼げますが、ストレスで健康を失えば、働くこともできません。今でも『嫁が家でみるのが当たり前』なんて言う人がいますが、嫁にだって生活がありますから。使える手段はすべて使ってほしいなと思います」

能登さん夫婦は、自分たちが経験した苦労を子どもたちにはさせないために、自宅のローンを完済して一息ついたら売却し、2人でケアハウスに入ろうと考えているという。

「子どもたちには『介護』という負担を少しでも減らせたらなと思います。そのためには、一生懸命働いて、お金を貯めなければいけませんけどね……」

現在、77歳の義父は特養。76歳の義母は在宅。長男は4歳。次男は2歳だ。能登さん夫婦のダブルケアはまだまだ続く。しかし、能登さん夫婦は自然に話し合うことができ、お互いを敬い、信頼し合っていることが大きな強みだ。これからも夫婦で協力し、困難を乗り越えてほしいと思う。

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