2世帯同居「自分たちのことは自分たちで」はもろくも崩壊

12月25日。能登さん夫婦は子どもたちを保育園に預け、義実家へ。例によって義母は認知症の影響か「通帳を失くした」と騒いでいた。能登さん夫婦は探しているフリをしながら荷造り。一通り生活に必要なものがそろったところで、「今日から一緒に暮らそう。子どもたち楽しみに待ってるから、クリスマスパーティーでもしようよ」と夫が声をかける。

義母は初めは渋ったが、「2人とも本当にありがとう。感謝します」と言い、何かを手に戻ってきた。見ると、土地の権利書や実印、ネックレスや指輪などの貴金属類だった。

「ウチにはこれだけしかないのよ。後は図鑑や辞書、レコードやCDくらいかしら。そういうのは後で片付けるわ」
「わかった。これらは失くさないように千秋と一緒に管理するね」

能登さんと夫は、スマホのボイスレコーダーのスイッチを入れて、預かったものを一つひとつ確認しながら車に積み込む。

ボイスレコーダー
写真=iStock.com/#Urban-Photographer
※写真はイメージです

能登さん夫婦の家に到着すると、義母は泣きながら「ご迷惑おかけしますが、よろしくお願いします」と言い、義父は笑顔で「よろしく頼む」と頭を下げた。

義母は「掃除や洗濯は任せて」と言うが、能登さん一家は2階、義両親は1階で、「お互いのためにも、自分たちのことは自分たちでやりましょう」と言って聞かせた。

保育園から帰ってくると、子どもたちは「じいじとばあばだ〜!」と大喜び。

ところがその夜、「そろそろ御暇おいとましましょうか」と義母が立ち上がる。2人が引き止めると、「こんなボケた両親と一緒に暮らしてくれるなんて……こんな有り難いことないわよ」と号泣。

義母はその後も、能登さん夫婦の寝室のドアを何度もノックしては、「明日の朝帰りますからね〜」と繰り返し、能登さん夫婦はなかなか寝付けなかった。

深夜の義父の徘徊「ご苦労さま」と寝室に侵入してくる

翌日から能登さん夫婦は、義実家を片付けつつ、両親が2人で入れる施設探しを開始。

同居から1週間が経つ頃、義父の徘徊が始まった。深夜から明け方、「ご苦労様です〜!」と言いながら、能登さんたちの寝室に入ってくる。トイレの近い義父は、1〜2時間毎にやってきた。

一方、義母は毎日のように「通帳がない!」と騒ぎ、銀行に再発行の電話をしてしまう。能登さんは家事・育児・仕事に介護が加わりヘトヘトだった。夫は家事にも子育てにも協力的だったが、やはり自分の親相手だとイライラしてしまうようで、母親との喧嘩が絶えなかった。

施設探しも難航した。義母が世間体を気にするあまり、「私たちにはまだ早い」「ここは年齢が上の人ばかりで話が合わなさそう」などと言って行きたがらないのだ。