「数年前に母を亡くしました。それよりも少し前、病院の帰り道に母とここに立ち寄ったとき、オーナーや店長が温かい言葉をかけてくれたことに救われました。まさに実家にいるような気持ちになりました」
他の客(49)もこの店がなくてはならない存在だという。
「今は週1ペースで来ています。辞めたスタッフが久々に来ると、同窓会みたいな空気になるのが楽しいです。また、この店に通うようになってから、親しくなったお客さんもいます」
「アイドルに会える焼肉店」というと、客もスタッフもハイテンションなイメージを持つかもしれないが、これまで述べてきたように、基本的には淡々とした雰囲気がある。常連だからといって、接客態度も変にベタベタすることはない。これが初めて訪れる客にとっても心理的ハードルを下げることになり、また足を運んでみたいと思わせるようだ。
「私の居場所」から「私たちの居場所」に
ここに来るまでさまざまな葛藤や苦労があったが、今の内田さんに迷いはない。
「普通の飲食店として味で勝負しようと考えたこともあります。でも、『どこどこ産の高級なお肉を使っています』という説明よりも、『この肉、めちゃめちゃでかいので、切って食べてください!』とかわいいスタッフに親しみを込めて言われたほうが、お客さんも気楽だし、楽しいはず」
それがIWAの個性であり、だからこそ、ここに惹かれる人たちが集まるのだ。味で勝負すれば、強豪がひしめき合うレッドオーシャンしかない。内田さんの見立ては間違っていない。
最近は売り上げが持ち直してきたとはいえ、コロナ禍の影響で20年以降は赤字が続いている。それでも店が存続しているのは堅実な経営を貫き通してきた結果だ。そしてもう間もなく、開業時の借金も完済できるところまで来ている。
3月から働く野中さんも、できる限り毎日出勤するという。「これは個人的な夢なんですけど……」と胸の内を明かしてくれた。
「いつか、福岡にIWAの支店を出したいです。あっちでできた友だちの居場所もつくりたい」
店をやめなくて本当に良かった――。内田さんは心からそう思っている。
「他の仕事で嫌なことがあったりしても、その後にIWAに来て、お客さんが楽しんでいる姿を見ると、私にはIWAがあるから落ち込まなくていいと前向きになれます。私にはこの人たちがいる。他のことが無理だったら、ずっとここにいればいいんだと」
毎日何百人もの客を相手にする大規模経営の飲食店に比べたら、都会の片隅にある小さな店の、些細なストーリーかもしれない。けれども、社会の分断が進むこんな時代だからこそ、多くの人たちが寄り添う場所が必要なのだということを、IWAという店は教えてくれた。