オーナーとしてのプライド

野中さんが辞めてからも、他のスタッフたちと店を盛り上げていった。売り上げは最初のころのような勢いはないものの、徐々に新しい顧客も増えてきて、安定は見られるようになってきた。内田さんも広告塔としてアピールして回った。

「自分の夢がそこにあったわけではないですが、AKB48卒業後もタレントとして活動していました。私が表に出ることで、店の宣伝になると思ったからです」(内田さん)

インタビューに応じる内田眞由美さん
筆者撮影
インタビューに応じる内田眞由美さん

そんなころ、IWAにとって大きな出来事が起きる。19年6月、バラエティ番組「ロンドンハーツ」で大々的に取り上げられて、再び脚光を浴びたのだ。番組内でいじられ、より多くの人たちに店を知ってもらえたことを、内田さんは喜んだ。

それを契機に、さまざまな番組からオファーが来るようになったが、次第に内田さんの思いなどとは関係なく、単に過激なことだけを求められるようになったのだ。

「ゲスい内容というか、暴露話や裏話はないかとばかり聞かれて、うんざりしました。そういう形でしか私には需要がないのであれば、この世界にいる意味はあるのかなと……。こういう仕事ならもう引き受けないほうがいい」

内田さんはある番組の収録が終わった後、すぐ所属事務所に連絡して、もうこれ以上続けられないと、退社することを告げた。すでにコロナ禍になって店の売り上げは厳しかったが、信念を曲げてまでやるべきことではなかった。何年も店のために奮闘してきたオーナーとしてのプライドと意地があった。

とはいえ、コロナ禍で経営は火の車だった。アルバイトも雇い続けることができないため、元AKB48のスタッフたちには泣く泣く休んでもらわざるを得なかった。営業日も、店長と社員と内田さんの3人だけで回す日々が続いた。

そんなどん底にあったとき、ふとしたきっかけで野中さんに電話をした。ちょうど野中さんもエステサロンがコロナ禍で立ち行かず、福岡でほぼ無職の状態になっていた。悔しさやつらさもあってお互いに感極まって号泣した。

しばらくして東京にやってきた野中さんは、内田さんおよび店長と話し合いをして、再びIWAで働くことを決めた。野中さんにとっても渡りに船だった。

「この1年は何もかもがうまくいかずに落ち込んでいました。IWAは私自身が元気にしてもらえる場所。一度出て行った人間が戻ることに、みんなはどう思うだろうと不安は大きいですが、またここで仕事ができてうれしいです」

淡々とした雰囲気、ベタベタしない接客が客の心を捉える

働く人がそうであるように、客にとってもIWAはかけがえのない場所になっている。自宅から約2時間かけて通う男性(46)は、もともとAKB48のファンではあったが、店の雰囲気にかれて、今ではすっかり常連になった。スタッフが家族のように親身に接してくれることに喜ぶ。