松下幸之助が即答した「経営」の定義

じつはいまから考えると、ジャパン・アズ・ナンバーワンと呼ばれた頃の日本の家族的経営というのは、とても優れていたのだと思います。少なくとも、日本人の性質にはとてもマッチしていました。

私が40代そこそこのときに、松下電器創業者の松下幸之助さんと会ったことはすでにお話ししました。そのとき、松下さんに「経営者は何を大事に考えているんですか?」と聞きました。例の素朴な私の質問です。「経営とはそもそも何をするものか?」と。

松下さんは、「経営というのは、全社員がどうすればモチベーションを持って仕事ができるかを追求することだ」と即座に答えました。

モチベーション、つまりは「働きがい」ですね。当時は日本的経営ということで、終身雇用、年功序列という日本独自の経営が行われていました。

社員として会社に入れば、基本的には定年までずっとその会社で働くことができたわけです。そして年次を重ねるにつれて役職が上がり、給料が上がっていきました。

会社は社長を家長として、子どもである社員がその下にいる。一つの家族として社員がすべて守られていたのです。だから社員は会社に対して忠誠心を持ち、安心して仕事に取り組めました。

全員が一つの目標に向かってスクラムを組んで一丸となって頑張ったわけです。

資本主義の常識を超えていた家族的経営

しかし、これは欧米の企業からしたらとんでもないことですね。マルクスの資本論では、経営者は労働者をいかに安く使うかということを考えます。難しい言葉で言うと、労働力を商品化するということです。

経営者はどんなに利益を上げたとしても、それを労働者に分配しません。労働者は原材料と同じ、単なる商品だからです。どんなに利益が上がっていても、原材料は最大限安く購入しようとするでしょう。

そのため、どんどん格差が広がり、労使には決定的な亀裂が入ります。そして労働者が一致団結することで革命が起こる、というのがマルクスの資本論です。

ところが日本の経営では、それが起こりようがありません。なぜなら経営者は社員を家族のように大切にするからです。毎年ベースアップが行われ、昇格と昇給を望むことができました。会社が儲かったら、ボーナスや一時金で還元します。

平社員は年次を経て課長、部長といった管理職になり、その後、経営側になる道さえもあります。もはやマルクスが描いていた資本主義経済下での深刻な階級化、労使の対立というのは日本には当てはまらなかったわけですね。

それどころか社員はモチベーションとロイヤリティを高めて、どんどん質のいい製品を作り出していました。

右肩上がりの経済だったからこそとはいえ、あのような経営形態をとっていたのは日本だけだったと思います。

資本主義の常識をやすやすと打ち破っていた日本型経営と日本企業に、欧米の企業は勝てませんでした。日本型経営を真似ようにも、個人主義が徹底している欧米では、とても無理な話だったわけです。