株価の上昇を多くの国民は評価していない
アベノミクスの評価に関してよく言われるのは、目標としていた消費者物価上昇率2%はできなかったものの、株価が上昇したことがプラスだったということだ。
しかし、これは株式保有者の立場からの評価であって、国民の大部分である勤労者の立場からのものではない。
株価の上昇は、先述したように、ドルで評価した日本人の賃金を抑えたことによって実現したのだ。技術開発や新しいビジネスモデルの創出で実現したことではない。それにもかかわらず、こうした評価は、政治を動かす力にはまったくなっていない。これが日本の悲劇だ。
円安という「麻薬」に頼って技術開発を怠った
日本の生産性が上がらなくなったのは、日本が新しい技術体系(とりわけ、インターネットを中心とする情報技術)に対応できなかったためだ。
ところが、円安になれば、企業の利益が回復し、株価が上昇するので、あえて技術革新をする必要性は感じられなかった。技術開発には投資が必要だし、労働者の配置転換も必要だ。そんな努力をしなくても、円安でごまかせるのなら、そのほうがずっと楽だ。
円安とは、痛みどめの「麻薬」のようなものなのである。本当に必要だったのは、技術開発による生産性の向上という「手術」だった。
実際に行われたのは、国際的に見た日本人の賃金を下げることによって、利益を増大させることだったのだ。それが続いて、ついに円の購買力が「50年前に逆戻り」というところまで来てしまった。