光圀が主導した『大日本史』の編纂に象徴される文化事業は水戸藩内での学問熱を高め、いわゆる水戸学を誕生させる。そして、光圀が産みの親とも言うべき水戸学は正統性を重視する学問という点が特徴であった。

江戸時代は、徳川家が天皇から将軍に任命されることで幕府の設置が許され、国政を任せられた時代であった。幕府権力に正統性を付与したのが天皇である以上、水戸学は天皇の権威に注目し、これを強調する尊王論へと行きつく。光圀自身も尊王の志が厚い人物だった。

ただし、水戸学はもともと幕府の存在を否定する思想ではなく、朝廷を敬うことで国政を委ねられた幕府の統治力を強めるための学問だったが、江戸後期特に幕末に入って、内憂外患に翻弄ほんろうされた幕府が国家的な危機に対して有効な対応を取れなくなると、そのぶん、幕府頼りにならずとして、幕府に国政を委ねた朝廷に期待する学問となっていく。朝廷に期待する思想と言い換えた方が正確かも知れない。

安藤優一郎『お殿様の定年後』(日経プレミアシリーズ)

朝廷への期待感が高まるほど幕府への失望感が高まり、水戸学は幕政批判の思想へと転化する。こうして、水戸学をバックボーンとする倒幕思想が沸き立つことになり、幕府は滅亡への道をひた走る。

『大日本史』の編纂・刊行は歴史への関心を高める効果ももたらした。徳川家が天皇から国政を委任されている事実を広く知らしめることにもなったが、幕府からするとあまり好ましいことではなかった。天皇という自分よりも上の存在を知られてしまうからだ。皮肉にも、幕府を支える立場のはずの水戸家は『大日本史』を通じて、その事実を標榜する歴史的役回りを演じる。

幕末には、『大日本史』に象徴される水戸学は光圀の意図を越え、幕府の存立基盤を大きく揺るがす学問となる。いわば、死せる光圀、生ける幕府を走らせる事態が到来するのであった。

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