「他人を詮索してはいけない」という暗黙のルール
過酷な生活を強いられているホームレスの中には、本人の信念うんぬんではなく、単にホームレス社会に流布しているセーフティーネットの情報にアクセスできていないという人もいた。アクセスといってもスマホを持っているか否かの話ではない。持っていないホームレスのほうが圧倒的に多い。
私が荒川河川敷にテントを立てて暮らしていたとき、となりの空き物件(建設した本人はどこかへ行ってしまった小屋)に67歳の男性が住んでいた。彼は20年前に妻を乳がんで亡くして以来、無気力状態になってしまい、2021年2月にホームレスとなった。
他人と話すことを極度に怖がり、小屋から一歩も出ようとしない。ホームレスになってしばらくたつというのに、日本で炊き出しが行われていることすら認識していなかった。生活保護に関しては、「生活保護を受けるのにもお金がかかるんですよね?」といったレベルの知識だった。ホームレスであると同時に引きこもりでもあると言ってもいいだろう。
たった2カ月で私はホームレスとして生きていく知識を付けた一方で、なぜ彼は何も知らないのか。それは、ホームレス社会全体になんとなく存在している「他人を詮索してはいけない」という暗黙のルールのせいだと考えられる。
「お前みたいによく話すやつは珍しいよ」
私はホームレス生活中、関わるホームレスたちに「お前みたいによく話すやつは珍しいよ」と何度も言われた。取材ということは誰にも伝えていなかったが、本を書くことは決まっていたので、私はとにかくいろんなホームレスに話しかけまくった。相手のこれまでの人生に耳を傾け根掘り葉掘り聞いた。その過程でいろんなホームレスと仲良くなった。
中には「なんでそんなことまで聞くんだ」と離れていく人もいたが、「ホームレスとここまで話したのは初めてだ」と、自らの過去を喜んで語ってくれるホームレスも多かった。必然的に相手との関係は深いものになり、人には話していないとっておきの情報まで教えてくれるようになるのだ。しかし、そんな行動を躊躇なく取ることができたのは、私のホームレス生活が2カ月という期限付きのものであったからだと思う。
東京都福祉保健局の調査によれば、令和3年1月時点での東京都の路上生活者数は862人。ちょうど高校1つぶんくらいの規模感である。炊き出しに行けばいつも同じ顔ぶれで、「○○さんは先月、生活保護に移行したらしい」とすぐにうわさになるほどに狭い社会である。そんな場所で毎日あれこれと聞きまわっていたら、いつかトラブルになるかもしれないし、「根掘り葉掘り聞いてくるやつ」というレッテルを貼られ、避けられてしまうかもしれない。
どこの高校にも「関わると面倒くさいやつ」とうわさになり、孤立している生徒は1人くらいいるんじゃないだろうか。高校生の場合は転校すればなんとかなるが、ホームレス社会にいられなくなった場合、次に行く場所はないのだ。