そもそも、結果が悪かったからといって、その原因を他人に押しつけ、責任逃れをするような人間が信用されるだろうか。ましてや責任者がそうであれば、下の人間はやる気を失い、失敗だけは避けようと考えるに決まっている。それでは大きな成果など望めるわけがない。

その人間を選んだのなら、「責任はおれが持つ」と信頼し、思い切って仕事をさせる。それがほんとうの責任者なのである。

究極の選択

中日ドラゴンズと北海道日本ハムファイターズが激突した2007年の日本シリーズ。日本一がかかった第5戦でこんなことがあった。中日が1点をリードして迎えた9回、それまでパーフェクトに抑えていた先発の山井大介を、落合博満監督が降板させたのである。

結果から述べれば、リリーフの岩瀬仁紀が9回を三者凡退に抑え、中日は日本一になった。勝負に徹した落合は正しかったのだろう。

「自分が監督だったらどうしたか」──私は考えてみた。「続投させる」、それが答えだった。

このケースにかぎらず、私は、「代えたほうがいい」と頭ではわかっていても、続投させて痛い目を見たことが何度もある。だから自分をヘボ監督だと思っているのだが、このことに関しては学習しなかった。同じ失敗をくり返した。

目先の失敗より人を育てることを選ぶ

コーチからもいわれたことがある。

「監督は情をかけすぎですよ」

なぜ、わかっていながら私は同じ判断ミスを続けたのか。私なりの答えはこうだ。

「長い目で見れば、そのほうが選手のためになる。ひいてはチームにとっても有益だから」

負けを覚悟であえて続投させることが、人を育てることになると思っていたのだ。