それでわたしは手紙を書いて、FAXで送った。内容は次の通りだ。

「奥さまのご逝去に際し、言葉はありません。お目にかかって、お話ができると思ったけれど、残念です。謹んでお悔やみを申し上げます。

わたしも同じ喪失の体験を持っています。3歳の時に父を亡くしました。

何年、何十年、経っても、その時の悲しみを癒すことはできません。時がすべてを忘れさせるというのは嘘です。悲しみは今もまだわたしの心のなかにあります。

マッカートニー卿の心中をお察し申し上げます。お体ご自愛ください」

手紙には「インタビューしたいとか、会いたい」とは一行も書かなかった。ただただ、あなたの悲しみを共有していますとだけ書いた。それを読めば、わたしがアポイントを取っていたことを思い出してくれると思ったからだ。

1998年10月、1時間半のインタビュー

ポールから永島さんあてに返事があり、「野地と会う」とのことだった。

写真提供=筆者
永島氏から筆者あてに届いたFAX。ポールのインタビューについて、日程を前倒ししたいと書かれている

1998年10月末、わたしはロンドンへ行って、ポール・マッカートニーに1時間半、話を聞くことができた。『ビートルズを呼んだ男』(小学館文庫)のなかにはもっと詳しいことが書いてある。

渡航前のことである。「インタビューする前に打ち合わせをしよう」という電話をもらい、永島さんのオフィスへ出かけた。

永島さんは言った。

「ポールには、僕(永島)についての本を書くための取材だと伝えてあるよ」

そう彼は切り出した。そして、続けた。

「いいかい、ポールに会う以上は、その時間は君のものだ。思いつくかぎりなんでも訊(たず)ねてくるんだ。ポールがインタビューを受ける機会はめったにないのだから遠慮しなくていい。それにあれだけのスターになれば他人のことを斟酌して発言をためらうなんてことはない。早めにロンドンに入って約束の時間に遅れないようにしなさい」

「君は日本人の代表だからね」

他にも取材時の注意をしてくれた。

「大事な仕事の時はコンシェルジュが優秀なホテルをとったほうがいい」と当時、日本航空が経営していたザ・モントカームを推薦してくれた。

「ランチはチャイナタウンのプーンズ(潘記)もいいね」

そんなことも教えてくれた。

お礼を言い、立ち去ろうとした私が戸口へ向かったら、背後から声がかかった。