ずらりとならぶレモンイエローのはとバスたち。ここから各地へ出発する。

1年ほど経った頃、宮端は、すれ違った運転手から声を掛けられる。「俺たちが頑張って会社を立て直します」。明らかに社員は変わっていた。見事5年ぶりの経常黒字を果たし、02年に次の社長、横溝清俊にバトンタッチした。

横溝は、宮端が蒔いたたくさんの種を確実なものにしていった。観光コースの見直しやCS研修を継続し、内部改革を進行させた。中国からの観光客が増えると予想し、中国語で案内する観光コースを設置したのも横溝の時代だ。

そして05年。横溝は、現社長の松尾均にバトンを託す。財務的には落ち着いていたものの、就任時の利益は2000万円ほど。「まだまともな会社の体をなしていない」と松尾は愕然とした。そこで、就任挨拶でいきなり檄を飛ばした。

「はとバスの名前にあぐらをかいてはいませんか。黙っていてお客さまがきてくれるわけではない」

「攻め」に転ずるべく、「営業重視」の方針を打ち出した。まずはコースのさらなる見直しだ。たとえば東京タワーを含むコースは定番だが、新鮮味はなかった。そこで、松尾は、「『昔デートで行った東京タワーに夫婦で行ってみませんか』というように、観光資源の魅力を再度掘り起こし、新しい形で打ち出そう、とハッパをかけました」。

安全にかかわる重要事項は赤い縁取りの掲示板に貼る。多忙なときも見落とさないように意識を変える努力を。

まずは企画を担当する定期観光部の若手社員にアイデアを出してもらった。営業と企画が縦割り組織の時代は、互いに責任のなすり合いをすることもあった。が、横溝の時代に組織を一体化させており、自由闊達なアイデアが出やすくなっていた。

「部門間に1本横串を通したことで、責任感が生まれ、『全社員一緒に営業するのだ』という気持ちが強くなったと思う」と松尾は振り返る。

さらに、松尾はパンフレットを「お客様へのラブレター」と称し、改革を行った。従来は各プランが同じ大きさで並び、写真も旅館から提供されたお仕着せのものだったが、巻頭の見開きに特選コースを設けたり、活字にメリハリをつけたりしてメッセージをアピールさせた。

2008年には創業60周年を記念したコース「はとバス劇場」を特別価格の6660円で発売。ユニークなネーミングや魅力的な内容が大当たりし、09年の利用者数は経常赤字に陥る以前の段階まで盛り返した。