「社長が一番下」の逆ピラミッド組織

レモンイエローの車体に映える「HATO BUS」の赤い文字は、東京観光の代名詞的な存在である。

はとバス社長
松尾 均
(まつお・ひとし)
1946年、岡山県生まれ。70年、中央大学法学部卒業後、東京都入都。都営地下鉄、都バスなど独立採算制部門を黒字化に導いてきた経歴を持つ。2005年から現職。「一番怖いのは組織がマンネリ化すること」。

「リーマンショック以来の安・近・短志向もあって、追い風が吹いている」と、社長の松尾均が笑みをこぼすように、2008年度の売上高は約156億円と5年で約21%増加した。多くの観光産業が不況にあえぐ中、見事な快進撃である。

10年前、はとバスは倒産の危機に喘いでいた。1999年、バブル期に年間94万人いた利用者は60万人近くまで減少、4年連続の赤字で債務超過寸前。そんな悪夢を払拭したのが、3代にわたる社長たちの改革バトンリレーだった。

先陣を切ったのは東京都からの天下りで、98年に社長に就任した宮端清次だ。経営危機に瀕していてさえ、東京都やJTBが大株主だったため、「つぶれることはないだろう」という空気が社内に流れていた。

そこで宮端は就任早々「1年後の黒字化」を宣言、達成できなければ辞任すると公言した。まずは初の全社員給与カットに踏み切る。「あのバカやろう」といった声も出たが、現場に出向いては現状を訴え続けた。

あるとき、バスガイドの1人から「お茶がまずい」という顧客の苦情を聞かされた。経費節減のために安いお茶に替えたことが原因とわかり、すぐに従来以上にいいお茶を取り寄せた。顧客満足を忘れてしまってはコストカットの意味がない。宮端は顧客至上主義と現場主義を徹底させるべく1番上にお客様、次に現場の社員、1番下に社長を配置した逆ピラミッドの組織図を作成。全社員に年一度の顧客満足(CS)研修を義務付けた。