WHOが認証した世界初の“ワクチン車”
ワクチン保冷輸送車の特徴はこうだ。
トヨタの大型クロスカントリー車「ランドクルーザー78」に、容量396リットル(ワクチンパッケージ400個分)のワクチン専用冷蔵庫「B Medical CF850」を積載。冷蔵庫は独立のバッテリーを持つため、無電源で約16時間稼働するほか、走行中は車両から、駐車中は外部電源から充電可能となる。
これによって、アフリカをはじめ途上国でのワクチン輸送における“ラストワンマイル”という高い障壁がぐんと下がった。この一大プロジェクトの中心人物こそが、中川さんである。
大仕事をやってのけたのに、中川さんはひょうひょうとしている。
「まだまだ。これで世界を救えることはない。もっと大きなことをやらないと。すでに第2弾、第3弾のプロジェクトは進行中です」
政府開発援助(ODA)などの途上国支援というのは、国連をはじめ、官の仕事という認識が一般的だろう。しかし民間企業だからできる支援もあると中川さんは訴える。ワクチン接種の普及に人生を捧げた中川さんの軌跡をたどる。
アフリカとの出会い
中川さんがアフリカに目を向けるきっかけとなったのは、1980年代の海外ミュージシャンによる活動だった。
「ライブエイド」という音楽イベントが開かれ、チャリティーソング「ウィ・アー・ザ・ワールド」が作られるなど、アフリカの飢餓や難民に対する支援が活況を呈していた。当時、大学生だった中川さんは学生寮で級友らとテレビにかじりついて、その模様を眺めていた。
「英国や米国のミュージシャンが集まって、チャリティー活動をやっている姿に感心しました。当時の日本ではまだアフリカに対する関心が薄かったのです」
その後、外務省やボランティア団体が、アフリカで支援活動できる学生を募集していたため、中川さんはいの一番に応募し、エチオピア、スーダン、ガーナに半年間滞在した。現地では、ODAで入ってきた毛布や古着などを、難民に配布する作業などに携わった。
ODAは外務省の仕事だとは分かっていたが、実際には商社の駐在員も援助に関わっているのを初めて知ることとなった。
就職活動の時期になり、中川さんは迷わずODAに携わりたいと思った。当初は外務省に入りたいと考えていたものの、大学での中川さんの専攻は水産資源であり、外務省の試験科目である国際法は勉強していなかった。