ナワリヌイの歩みから、プーチン体制の変化がわかる

本書に書かれているように、ナワリヌイはさまざまな顔を持つ。弁護士、ブロガー、反体制野党指導者、抗議行動のリーダーなどだ。さらに革命家、独裁者、ポピュリスト、差別主義者という言い方もされる。

本書では、反汚職運動家、政治家、抗議活動家の三つの側面から分析しようという試みをとっている。ただそれぞれの活動の時期が重なっているうえ、明確に区別がつきにくい。

たとえば、選挙運動のなかで政権や与党の汚職を追及するし、抗議行動も行う。いつからいつまで反汚職運動家、次は政治家、その次は抗議活動家という時期で区切って説明できるわけではなく、時系列も前後している。

ナワリヌイがプーチン政権の映し鏡と考えると、プーチン政権の歩みを時系列で整理しておく必要があるかもしれない。

ウラジーミル・プーチン大統領。Russia-1のTV番組「モスクワ」の司会者パヴェル・ザルビン氏のインタビューを受けている(写真=Files from Kremlin.ru/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons

プーチンが最初に大統領に就任した2000年5月からすでに21年になるが、プーチンはずっと大統領を続けてきたわけではない。憲法で連続3回の立候補が禁止されていたため、2008年、いったん大統領を退き、2012年に復帰した。プーチンは、首相にいったんなったとはいえ、最高指導者、最高実力者として20年以上にわたってロシアを統治している。

一方、ナワリヌイの主な活動は次のようになっている。

① 2000~2008年 プーチン大統領時代(第1回目)
2000年 野党ヤブロコ入党
2007年 ヤブロコ党除名
国営企業の少数株主活動 反汚職活動を開始
② 2008~2012年 メドベージェフ大統領時代 プーチンは首相
2009年 キーロフ林業顧問
2010年 アメリカ・イェール大学留学
2011年 下院選挙で抗議デモ組織 政権与党を「詐欺師と泥棒の党」と非難
③ 2012年~ プーチン大統領時代(第2回目)
2012年 プーチン大統領復帰前後 抗議行動で身柄拘束
キーロフ林業に対する横領罪で起訴
2013年 キーロフ林業に対する横領罪で有罪判決
モスクワ市長選挙立候補 第2位 予想外の善戦
2014年 自宅軟禁 フランスの化粧品会社イヴ・ロシェに対する詐欺罪で有罪判決
2017年 メドベージェフ首相に関する動画「彼を“ディモン”と呼ぶな」公開
2018年 大統領選挙 ナワリヌイは立候補を認められず プーチン大統領再選
2020年 毒殺未遂事件 ドイツの病院で療養
2021年 帰国後、逮捕
動画「プーチンのための宮殿」公開 収監

このように見てみると、ナワリヌイのさまざまな活動は、プーチンが初めて大統領に就任してから20年あまりとそっくり重なっている。

ナワリヌイを見ることで、プーチン体制が反体制派を抑えるためにより厳しく、権威主義的な傾向を強め、強権的、独裁的とまで言われる体質に推移していったようすが浮かび上がってくる。