「アルバイトでは食べていけない、生活するために始める」

詐欺グループには100人ほどのメンバーがいて、入れ替わりも激しかった。新たにメンバーが加わる際には、“採用面接”も実施していた。拓海さんも“面接官”を務めたことがある。面接で事情を聞くと、親が捕まっただけの自分はまだいい方だと感じることもあった。

大藪謙介・間野まりえ『児童養護施設 施設長 殺害事件』(中公新書ラクレ)

「親がいなくなった子、そもそも家がない子、あとは、もめ事を起こしたら不良が出てきてお金を請求された子とかいろんなパターンがいましたね。普通に暮らしてる人からしたらわからないかもしれないけど、それができない子からしたら、ただ普通の生活を手に入れたいだけなんですよ。結局若いと雇ってくれるところがない。アルバイトだけでは食べていけない。生きるため、生活するために始めるんです」

拓海さんは最終的に詐欺グループの上層部である指示役へと昇進。20人くらいの少年の管理を任されるようになり、毎朝起床確認のための電話をしたり、“給料”の管理をしたり、時には飲みに連れ出したりして面倒を見ていた。逮捕されるリスクと常に背中合わせだったため、「自分の身柄をかけて“仕事”をしている」という緊張感を常に持ち、一生懸命働いていた。

毎日朝礼をやって「きょうも頑張ろう」

「笑われるかもしれないけど、毎日朝礼とかやって、『きょうも頑張ろう』って言いながらみんな死ぬ気でやっていました。確かに悪いことかもしれないけど、『自分の家族を食わせたい』とか、『大切な人に美味しいものを食べさせたい』とか、ゴールは一緒なんですよね。まじめにやればいいっていうものでもないし、まじめって一体なんなんだろうっていうのが自分にとって疑問に思っていたことです」

拓海さんはその後、強盗事件にもかかわり、逮捕された。

一番困っていたとき、頼ることができる親や親族がいなかった。学歴もツテもなく、働く場所が見つからなかった。社会から見放され、生活が脅かされそうになったとき、唯一手を差し伸べてくれた人がいて、信頼関係を築くことができたとしたら。犯罪に手を染め、罪のない被害者の財産を奪い、苦しめたことは決して許されることではないが、生きるためにそれしか選択肢がなかったという、拓海さんをそこまで追い詰めた社会の側の責任も見過ごしてはならないと感じた。

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