新婚の妻を追うように28歳でインフル死

1917年、別れた恋人ヴァリーは、第一次大戦の従軍看護婦になり、派遣先で病死した。一方のシーレはその翌年3月には分離派展のメインルームを飾ることになり、ついに画家としての評価を確立させる。6月には家族で大きなアトリエ付きの住宅にも引っ越した。

しかし、そんな大成功を収めた矢先の2月に、恩人のクリムトが脳卒中を発症後、肺炎により死去。さらに同年10月には、妊娠6カ月であった妻のエーディトが、春から大流行していたスペイン風邪によって亡くなってしまう。

自分と妻、まだ生まれぬわが子の3人を描いた最晩年の作品『家族』(1918)。オーストリア絵画館蔵(写真=CC-PD-Old-100/Wikimedia Commons

そして、看病をしていたシーレ自身も妻の死の3日後に同じ病で命を落とした。これから華々しい画家人生が待っていたはずなのに、いきなり終了してしまった。すべてを手に入れたかに見えた瞬間、そのすべてを失ってしまったのだ。

28歳の若さだった。いったいなぜ、これほどまでに生き急ぐ必要があったのかはわからない。しかし、この超特急列車のようにスピード感溢れる絵画たちが、その赤裸な魅力で今でも多くの人々の心を浄化し続けることに変わりはない。

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