内戦状態から治安を回復
1979年にアフガニスタンに侵攻したソビエト連邦軍(当時)が89年に撤退した後、アフガニスタンは対立する武装勢力や軍閥間の争いが続く内戦状態に陥っていた。そうしたなかで登場したタリバンは、軍閥を追い出して治安を回復。地元住民の支持を獲得しながら勢力を拡大し、1996年9月には首都カブールを制圧。「アフガニスタン・イスラム首長国」の建国を宣言し、政権を掌握した。
しかし、2001年の9.11同時多発テロを受け、国際テロ組織アルカイダをかくまったという理由で、アメリカを中心とする約30カ国の有志連合がアフガニスタンへの軍事行動を開始。行政経験の不足もあり、タリバン政権は2001年12月に崩壊した。
なぜ再び権力を掌握できたのか
それから20年、なぜタリバンは再び権力の座を取り戻せたのか。
まずアフガニスタンが、パシュトゥン、タジク、ハザラ、ウズベクなどの、多様な民族を抱える国家であることは要因の一つだろう。この地域の長い歴史からみれば、中央集権的に国家運営がなされた期間はごくわずかでしかなく、「アフガニスタン政府」ができたからといって、文化や伝統なども大きく異なる各民族は簡単にはまとまらない。
第1次タリバン政権の崩壊後に「有志連合」によって作られた前政権では、行政のあらゆる場面で汚職がまん延し、それに不満を持つ国民がどんどん増えていった。タリバンはそこを突くように地元民たちに接近し、支持を獲得していった。タリバンを構成するのはパシュトゥン人だが、パシュトゥン人はアフガニスタン人口の4割を占める最大勢力だ。
タリバンはテロや恐怖政治を行うだけの団体のようにみえるが、支配地域では医療支援や食糧の提供なども積極的に行ってきた。昨年以降のコロナ禍でも、タリバンは住民たちに感染対策や検査などを提供している(“Taliban launches campaign to help Afghanistan fight coronavirus”, Ruchi Kumar, Aljazeera 6 Apr. 2020)。
こうした活動の積み重ねによって、タリバンは地元住民からの一定の支持を獲得していたと思われる。
旧アフガン政府軍の練度や士気の低さも、タリバンがあっという間に首都カブールまでを制圧できた大きな要因だろう。軍幹部はもちろん、兵士の間でも汚職が絶えず、脱走兵も多かった。名目上は定員を定めていたというが、実際のところ正確な兵士の人数は分からず、「幽霊兵士」の給与を幹部が横領することもあった。兵士の識字率の低さに、政府軍の軍事指導にあたっていた米軍が苦労したという話もある(15歳以上のアフガニスタン男性の推定識字率は55.5%)。