「センターに向かう道中は不安ばかりでした。テニスなんかやりたくないとも思っていました。しかし行ってみると、みんな、楽しそうにラリーしている。車いすとかそうでないとか、関係なくなった。やってみたいと思いました。胸が躍りました」

国枝の車椅子テニス人生の始まりである。ラケットを振ってボールを飛ばす。スイートスポットで当たったときの快感に酔いしれた。しかもラリーは相手がいる。一人ぼっちではないのだ。

「それまで障害者と話したことはなかったんです。話すのは健常者ばかり。正直、どう接していいかわからなかった。怖かったと言ってもいい。でもテニスをしたら、自然に話せる。触れ合うことができるんです。車椅子テニスの魅力です。はまりました」

だから、国枝は車椅子テニスの魅力を多くの人に伝えたいと思っている。自分と同じ障害を持つなら、車椅子テニスに興味を抱いてもらいたい。やりたいと思って欲しい。それには自分が勝ち続けること。世界の舞台で活躍することだと信じている。

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世界を目指す国枝、理想を託したコーチ

国枝はすぐに頭角を現す。運動神経がずば抜けている。車椅子をくるくる動かすことなどお茶の子さいさい。チェアワークがいいから、楽に打球に追いつける。当然、上手くボールを打てるというわけだ。

「車椅子テニスを始めて1年目の中学1年のとき、ある試合で1回戦負けを喫したんです。それが悔しくて悔しくて、それから練習への取り組み方が変わりました。負けはしたけど、試合って面白いなって。楽しいから、勝ちたいに変わった。目覚めたんですね。僕は根っから勝負が好きなんだと思います」

楽しいだけで十分という人もいるだろう。それはそれで素晴らしいスポーツ人生である。ただし、そういう人は競技には向かない。試合で勝ちたい人が競技者になって行くのだ。国枝はまさに生まれながらの競技者である。

試合で成績を収めるようになり、麗澤高校1年のときに海外遠征を経験する。そのときに当時車椅子テニスの第一人者だったリッキー・モーリエのプレーを見る。素晴らしいテニスに感激、自分も世界を目指したいと思うのだ。

こうして車椅子テニスのコーチとして頭角を現してきた丸山弘道の指導を受けることになる。そのとき、国枝は17歳。丸山は「君は世界のトップに行ける。格好いいテニスでスターになろう」と国枝に言った。車椅子テニスをいかに健常者テニスに近づけられるか、それが指導者としての丸山のテーマだった。その理想を国枝に託した。