脳梗塞の父親が糖尿網膜症に、唯一の味方の伯母の死
2007年に父親が脳梗塞になって以降、和泉さんをいろいろと気遣ってくれていたのが近くに住む伯母(父親の姉)だった。だが、2008年に伯母に乳がんが見つかる。すでに末期の状態だった。伯母はしばらく隠していたが、闘病生活を続ける中で、これ以上隠しておけないと思ったのか、和泉さんと父親に告白。初めて伯母が末期がんだと知った日、和泉さんと父親は声も出ないほど大きなショックを受け、すぐには事態をのみこめなかった。
「自分がやるしかないんだ」。伯母に依存することもできないなか、当時10代の和泉さんは夜間高校に通学しながら、また学童職員として働きながら懸命に父親の介護をした。だが、病状は刻一刻と悪化してしまう。
2011年の年末頃、61歳になった父親は、「目が見えんがね……」「テレビが見えん……」としばしば和泉さんに言い始めた。確認したところ、父親の両目が充血している。眼科に連れて行くと、医師から大学病院を紹介され、そこでさまざまな検査を受けた結果、糖尿病網膜症を発症していることがわかった。
「母によると、父は会社の健康診断などで随分前から糖尿病だということが分かっていたみたいです。それなのに、母がどんなに説得しても、『自分の身体のことは自分が一番わかっとる!』と言って、絶対に病院へ行こうとしなかったのだとか。母いわく、父は、病院が怖いとか、嫌いとかだったようです」
糖尿病網膜症は、糖尿病腎症、糖尿病神経症と並び、糖尿病の三大合併症といわれ、糖尿病が原因で網膜が障害を受け、視力が低下する病気だ。網膜は、目の中に入ってきた光を刺激として受け取り、脳への視神経に伝達する組織で、カメラでいうとフィルムの役割をしている。定期的な検診と早期の治療を行えば病気の進行を抑えることができるが、現状、日本の中途失明原因の代表的な病気となっている。
これをきっかけに、和泉さんに父親のインスリン投与が課されることになった。
2012年10月、和泉さんと父親は、約4年にわたり乳がんで闘病していた伯母を、緩和病棟で看取った。痛み止めのモルヒネを投与され、意識が朦朧とした中で、「あんた、きてくれたんかい?」と和泉さんに向かって言ったのが、伯母の最後の言葉となった。63歳だった。