なぜ組織委は「殺人的暑さ」を放置してきたのか
実はそれは外国人の間でも有名だ。観光庁が2019年11月に公表した「訪日外国人旅行者の夏の暑さに関する意識調査」によれば、日本を訪れた外国人の89%が、東京の夏は蒸し暑いと回答し、その中の8割以上がこの暑さについて、「日本にやってくる前から知っていた」と答えている。
だから、招致を勝ち取った段階で国内外のスポーツメディアから、「東京五輪はアスリートにとって最も過酷に大会になる」という指摘が相次いでいたのだ。
では、なぜ7年以上前から大炎上することがわかりきっていた「殺人的暑さ」を、組織委員会は放置してきてしまったのか。多くのスポーツ関係者やメディアから危険性が指摘されていたにもかかわらず、効果的な対策を打ち出すことができなかったのか。
個人的には、組織委員会や日本のアマチュアスポーツ団体の感覚が、国際社会のそれと大きくズレてしまっている、という問題が大きいと思っている。
その感覚とは一言でいうと、「スポーツとは暑い最中にやる過酷なもので、アスリートは暑さに耐えて当然」という昭和のスポ根的精神論だ。
日本のスポーツ関係者は“スポ根脳”に支配されている
建前としては「アスリートファースト」とか「いい環境でパフォーマンスをしてほしい」というようなことを言っているが、根っこに「スポ根」があるので、どうしても「暑さくらいで騒ぐなよ」という本音がある。だから、「暑さ対策」にそこまで力が入らない。それを象徴するのが、コート上が50度を超えるとかねてから言われていたテニスを真っ昼間に開催したことだ。本当にアスリートファーストならば、7年以上も時間があったのだから、IOCや有力スポンサーである米テレビ局と交渉して、せめて競技を涼しい時間に変更すべきだったのにそれをやっていない。
根本的なシステムを見直すという発想にならず、「水分をよくとる」など個人に負荷をかけていくことを暑さ対策の柱にしたり、「頭にかぶる傘」「うち水」というマンガみたいなアイデアが次々飛び出すのは、「個人の気合と根性」で問題を解決しようとする“スポ根脳”の典型的な発想だ。
「この状況下でアスリートのためにどうにか大会開催までこぎつけてくれた人々にワケのわからない因縁をつけるな」と不愉快になる方も多いだろうが、組織委員会のみならず、日本のスポーツ関係者が“スポ根脳”に支配されてしまっているというのは、五輪と入れ替わる形で開催される「国民的スポーツイベント」が雄弁に語っている。
そう、夏の甲子園だ。